ふだん「教える」立場の人こそ、大学・大学院で学び直すべき理由!

今回のポイント

社会人こそ「教われる」場所を大切に。
「教える」側の人はなおさら!

北大生的な生活、スタート。

昨日5/14から
なにげに「北大生」のような生活が
始まりました。

北海道大学の社会人向け教育プログラムでもある
CoSTEP(コーステップ)」の講義が始まったのです。

 

これまでセミナーや講演などで
何かを学ぶ機会は多々ありましたが、

大学のプログラムを定期的に受講するのは
久しぶりの体験です。

(通信制大学に所属していた時以来なので
 8年ぶりくらいでしょうか)

久々の「学生」経験は楽しい。

久々の「学生」体験。

やってみると、
ちょっと「楽しい」ものですね。

 

なんだか大学生・大学院生の頃の
「ノリ」を思い出してきたようにも思います。

 

「教えてもらえる」ありがたさ。

個人的に面白かったのは
「教えてもらえる」関係性のありがたさを
久々に実感したことです。

私、仕事でも参加している会でも、
何かを「教える」側であることが意外と多いです。

 

なので向こうから教えてもらえる関係性の
「ありがたさ」「新鮮さ」を実感したのです。

 

『言語が消滅する前に』

この感覚、
『言語が消滅する前に』という本の中で
哲学者の國分功一郎さんが書いていたことに近いかもしれません。

(同じく哲学者の千葉雅也さんとの対談本です)

 

 國分 僕らはふだん大学で先生をしていますよね。
 でも僕は先生をやることに疲れてしまったところが
 あったんです。

 千葉 どうしてですか?

 國分 先生って、いつも先生として
 振る舞わなきゃいけないじゃないですか。

 立派に見せなきゃいけないし。
 学生に「どうだわかったか!」って鞭打つように
 教えることにちょっと疲れてしまって。
 (…)
 僕は久しぶりに教わりにいって、
 教わることそのものの重要さを痛感した。
 
 というのも、教わることって、
 単に知識を頭に入れることと違うんですね。

 たとえばABCDEという5つの要素を教わるとして、
 大切なのは先生からその把握の仕方を教わることなんですね。

 (…)
 つまり教わるという経験は、
 情報を受け取ると同時にその先生の把握の仕方という思想を学ぶ
 経験だと思うんです

國分功一郎・千葉雅也,2021,『言語が消滅する前に』幻冬舎新書, Kindle版No.70ページ/182ページ。

國分さんと違って
私は「先生をやることに疲れて」いるわけではないですが(笑)、
「教わることそのものの重要性」についてを
実感した次第です。

誰かから教わることで
自分の考え方や世界観が少し変わってくる感じなど、
たいへん面白いのですね。

社会人になると
何でも自分で考えること・
何でも自分で「なんとかする」ことが求められます。

だからこそ、
大学・大学院に行くことで、
人に聞ける・教われる関係性が手に入ることも
なかなか良いものだと思います。

 

そうすると、
学んだことが刺激となって
今後の自分の成長にも繋がりやすくなるからです。

 

気持ちもゆるまる感じもありますし、
新たな思いで取り組めるようにも思います。

 

ここに、
社会人が大学や大学院で
再度勉強することの意味があるように思うのです。

 

今回のポイント


社会人こそ「教われる」場所を大切に。
「教える」側の人はなおさら! 

学ぶことは「違う自分」になるチャンス。

学ぶことは
「違う自分」になることでもあります。

 

勉強して「違う自分」になることで
自分の認識や発想が切り替わっていくのです。

 

「教える」側の人ほど再度勉強を!

その点で、ふだん誰かに「教える」側の人ほど
大学や大学院で再度勉強しに行くのが大切だと感じています。

そうでないと
自分のもつ知識・情報が古くなってしまっていることもありますし、

「学生」側を経験することで
自分の「教え方」についても
反省的に学ぶことができるからです。

…昨日授業に出てみて、
思った以上にCoSTEPのプログラム、
「負荷」がかかるのを実感しましたが、

うちの塾に来てくださっている
受講生の方々に還元ができるよう努力してきたいと思います!

ではまた!


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