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アメリカ人、ドイツ人と関わる際に知っておきたい「プロテスタント」の発想
こんにちは、
作文・論文アドバイザーの
藤本研一です。
今年2017年って、
なんと
宗教改革500年
なんですね!
マルティン・ルターが
腐敗・堕落したカトリック教会に対し、
質問状を送ったのが
500年前の1517年
なんです。
ちょうど500年、
というのが面白いですね!
私はもともと
「社会科」教員でもあるので、
歴史はホントに好きです。
受験生にはいまだに言っていますが、
「私が早稲田に合格できたのは、
日本史(歴史)の点がよかったから!」
でもあるのです。
実はこのルターの
宗教改革。
500年後の現代にも
大きく影響を与えています。
端的に言えば、
ルターの宗教改革で生まれた
「プロテスタンティズム」
という発想が、
いまの社会の源流になっているのです。
でも、
日本のキリスト教人口って
約1% 。
プロテスタントの人は
さらに
その半分くらいです。
だから「プロテスタント」の発想って、
意外と日本だと知られていないのです。
でも、世界では
プロテスタント人口は
世界的には
3億人以上
います
おまけに、
日本とも関係の深い
アメリカもイギリスもドイツも、
プロテスタントの強い国々。
ビジネスで
アメリカ人と関わる人も多いですね。
その際に、
彼らの「発想」「思想」の
原点がどこにあるか、
知っておく必要があります。
「プロテスタンティズム」について
学ぶべき理由がここにあるのです。
ちなみに、「プロテスタンティズム」について
学ぶならば、こちらの本がオススメです↓
帯紙にもありますが、
ルターから始まった宗教改革が、
現代の「保守主義」「リベラリズム」にも
影響を与えていることが述べられています。
端的にいうと、
「プロテスタンティズム」には
①保守主義としてのプロテスタンティズム
と、
②リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
の2つがある、と本書では
整理されています。
それぞれ、
現代の
「保守主義」や「リベラリズム」のプロテスタンティズム
源流となっているのです。
この記事では、
2つの違いを見ていきましょう。
①保守主義としてのリベラリズム
これはドイツを中心に広まっている
発想です。
ルターは腐敗・堕落した
カトリック教会に対して
批判を行いました。
当然、カトリック教会は
ルターを破門にします。
ところが、
ドイツ国内(当時は「神聖ローマ帝国」)には
カトリック教会をよく思っていない
領主たちがいました。
領内のことについて、
カトリック教会があれこれ口出しをする。
その状況を苦々しく思っていたのでした。
そのため、
反カトリック的な領主が
ルターを匿ったのです。
この対立が
やがて30年戦争をもたらします。
長い戦いののち、戦争終結の
条約が結ばれます。
それが
アウクスブルクの宗教和議
です。
アウクスブルクの宗教和議では、
「ルター派」の信仰がようやく容認されます。
ただ。
ルールが有るのです。
領主がカトリック教会に属するなら、
住民みんなカトリックになる。
領主がプロテスタント(ルター派)に属するなら、
住民みんなプロテスタントになる。
ある意味、
無茶苦茶です。
だって、今で言えば
県知事や道知事が、
「私はプロテスタントだから、
住民みんなプロテスタントね!」
と命令できるわけですから・・・。
ともあれ、
ドイツではプロテスタントは
ある意味
「領主がやれというから」
無理やり住民が信じさせられた、
という側面を持つのです。
これ、
実はいまの日本と似ています。
いまの日本って、
「親の宗教」
を基本無批判に受け入れてますね。
「うちは浄土真宗だから」
「うちは日蓮宗だから」
お葬式の際に
気にしたりします。
日本では、「親」が言うから、その信仰。
ドイツでは、「領主」が言うから、その信仰。
けっこう似てますね!
実はこの発想が
「ナチスドイツ」につながった、
と本書では書かれています。
宗教や信仰というものを、
領主から命じられる。
その発想は
「大事なことはお上が決める」
「上の人に決めてもらう」
「上が言うから、とりあえずそうなんだろう」
という考え方につながります。
日本人にも多い、
「お上意識」
ですね。
ドイツにおいて広まった
「保守主義としてのプロテスタンティズム」が、
「お上」を求める意識をもたらしました。
それが
「ヒトラー」という
「お上」を立てることに繋がったのではないか?
本書では指摘しているのです。
もっとも、この傾向があるからこそ、
ドイツ人の上下関係
きちっとした人間関係や、
言われた仕事をキチッとやる勤勉さ
につながっている側面もあるのです。
②リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
先程はドイツにおける
「保守主義としてのプロテスタンティズム」を見てきました。
世の中にある「プロテスタント」の教えは、
数限りなくあります。
それを整理すると、
①の「保守主義としてのプロテスタンティズム」と
②の「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」に
大きく分類できるのです。
ここでは
「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」を
見てみましょう。
こちらは、
①の「保守主義としてのプロテスタンティズム」を
再批判する発想に立ちます。
言ってしまうと、
「宗教改革」の「改革」を訴える
立場です。
アメリカが
典型例です。
もともとルターは、
腐敗・堕落したカトリック教会に対し、
「神の言葉である聖書を読み、
人々が直接神とつながるべきだ」
と考えました。
それまでは
「神の言葉」の代言者として
聖職者がいたのです。
「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」は
このルターの発想を忠実に実践しています。
聖書を読み、
自分で信仰について考える。
すると、
いろんな解釈ができます。
やがて、解釈が同じ仲間を集め、
新たな「教会」を作ることができるのです。
これが
「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」
です。
ヨーロッパの古い町に行くと、
町の中心に高い尖塔を持った教会があり、
それを取り囲むように町が出来上がっている様子を
よくみかける。一つの教会、
つまり国教会にその町の人々は
みな通うのである。小さなその町の中に
教会は一つである。あるいはカトリックと
プロテスタントの教会が
一つずつある。(178ページ)
ヨーロッパの光景です。
しかしアメリカの町は違う。
町のメインストリートにいくつもの
宗派の教会があって、
人々はそれを自ら選んで
一つの教会に通うのである。この市場の中で、
自分にもっともよき
宗教的指針を与え、
魂のよりどころとなり、
宗教心を満たし訓練してくれる
礼拝と牧者を求めて、
教会を選び、移動する。それがアメリカの作法である。(178ページ)
アメリカでは
宗教も自ら選び、
決めていくものなのです。
だから人がガラガラの教会の横に、
何万人も信者のいる
巨大教会もあるのです。
アメリカの
「自由」な発想や
「自分たちで作る!」という
ベンチャースピリット、
市場で「選択」させるという
発想も、
もともとは
「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」
から起きているのです。
お上にまかせず、
自分たちでやる!
そういう発想です。
①と②をくらべると・・・
①の「保守主義としてのプロテスタンティズム」と
②の「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」。
両者を見ると、
面白いです。
同じ「プロテスタント」なのに、
「お上意識」を生じさせた
「保守主義としてのプロテスタンティズム」もあれば、
「上に頼らず、自分たちでやる!」という
ベンチャースピリットを生じさせた
「リベラリズムとしてのプロテスタンティズム」も
あるからです。
宗教って、
けっこう人の考えの「土台」になるんだな〜
と思います。
よく佐藤優さんあたりが、
「ビジネスマンならば、
教養として宗教学を学べ!」
と言っています。
私もこの意見に賛同です。
教養として、
「宗教」についても調べてみる。
すごく大事なことだと思います。
なお、
『プロテスタンティズム』について、
紹介動画を作りました。
ぜひこちらをご覧ください↓
久々の書評ブログ!
さて、今回は
久々に「書評」のブログ記事になりました。
実はこれ、
私と一緒に
「札幌ワカモノ文学サロン」をやっている、
かげぎすさんのブログに刺激を受けました。
http://nomad-edu.main.jp/www.school-edu.net/post_lp/wakamono
私が
「ブログを365日、毎日更新すると
人生が変わるよ〜」
と言ったのに影響を受け、
地道に取り組んでいらっしゃいます。
かげぎすさんは
「書評」にこだわって
取り組まれているので、
今日の記事になりました。
大学院博士課程から
「作家」デビューを目指し
取り組んでいる方なので
よければ見てみてください↓
ではまた!
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