先日、勤務先の生徒に「先生、この文章見てもらえますか?」と聞かれました。
作文添削熱が一気に高まりました。
中身を見ると、それはネットゲームに出てくるキャラクターに対し、
「自分はいかにそのキャラが好きか」を伝える文章でした。
聞いてみると、キャラクターのファン投票を行っており、
投票した際に書く「推薦理由」の文章を見てもらいたい、とのことでした。
かなりアツく、そのキャラの魅力が書かれていました。
ほとんど文章には直すところがなく、「さすが!」と思ったのが印象的でした。
さて、私はその生徒の文章を見る際、ある質問をしました。
それは以下のものです。
(1)「この文章って、誰が何のために読むの?」
(2)「読んだ人に何が伝わるといいの?」
(3)「読んだ人にどうなって欲しいの?」
(こう書くとケンカ腰のような言い方ですが、実際はもっと柔らかい質問にしています)
この質問に対し、生徒はこう答えました。
(1)「この文章って、誰が何のために読むの?」
→「ゲームの製作者さんやファンが〈あ、こんな考え方をしているファンが居るんだ!〉と知ってもらうためです」(2)「読んだ人に何が伝わるといいの?」
→「あんまり注目されていないキャラなので、〈実はこのキャラはカワイイんだ〉というのを伝えたいです」(3)「読んだ人にどうなって欲しいの?」
→「このキャラの魅力を知ったうえで、投票してほしいなー、と思っています」
この回答を聞いた後、再び書いた文章を読みなおしてみました。
すると、ちゃんと回答どおりの目的で文章が書かれていることに気付き、改めて「さすが!」と思った次第です。
(1)の回答に〈あ、こんな考え方をしているファンが居るんだ!〉というものがありました。
その生徒は、あえて想定されている文章量の3倍くらい文章を書いていました。
その部分から「こんなにアツくこのキャラについて語れるファンが居る」という事実が伝わります。
(2)の回答にある、〈実はこのキャラはカワイイんだ〉の部分も、3つの側面からそのキャラのカワイサを語っているところから伝えています。
(1)の部分同様、文章量の多さから「あんまり注目されていないキャラ」の魅力を伝える働きがありました。
(3)の回答どおり、その生徒の書き込みは「あんまり注目されていないキャラ」へのアツイ愛情が伝わる内容となっていました。
〈ファンの声〉として、そのゲームのサイトに大きく掲載されたそうです。
文章を書くとき、下手をすると人はジコマン文章を書いてしまいがちです。
何を伝えたいか不明確なジコマン文章では、結局読み手に何も伝わりません。
ジコマン文章を書かないためには、【書く目的】は何かを常に考えることが大事です。
【書く目的】さえハッキリしていれば、何をしても構いません。
例えば、先ほどのキャラ投票の例では〈あえて内容を稚拙にし、ダラダラとそのキャラがいかにカワイイか書き続ける〉方法を取ることもできます。
別にファン投票は「完璧な文章」を求めれているわけではありません。
「へー、こんなにこのキャラが好きな人がいるんだ」が伝わればいいわけです。
【書く目的】が何か、まず考えましょう!
《追記》
誤解を恐れずに書くと、コミュニケーション力とは「コミュニケーションを取る相手に、自分の望む行動をとってもらえる力」ということになります。
コミュニケーション力の本質をみんなぼかして書いていますが、結局は「相手も納得する形で、自分の思いを受け止めてもらい、行動してもらう」ところに目的があります。
そこから考えると、文章も「読んだ人に何を伝えたいか」「読んだ人がどういう考えを持って欲しいか」「読んだ人にどういう行動を取って欲しいか」考えて書く必要がある、ということになります。
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