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コンクラーベ(教皇選挙)とは?
コンクラーベという言葉、聞いたことはありますか?
コンクラーベとは、カトリックにおけるローマ教皇を決める選挙のこと。
日本語に訳すと「教皇選挙」となります。
ちょうど2025年5月にコンクラーベによって新教皇にレオ14世が選出されました。

(出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250509/k10014801161000.html)
連日コンクラーベの様子がニュースでも流れていましたね。
(どうでもいいですが、高校時代の世界史の先生が「決まるまで話し合いの会場から出られないからまさに根比べ」と言っていたのを思い出します…)
映画『教皇選挙』をAmazonプライムで観た件。
さて、このコンクラーベをテーマにした映画が2024年に海外で公開されました。
それが『教皇選挙』(原題:Conclave)です。

(公式サイト:https://cclv-movie.jp/)
日本では2025年3月に公開されました。
狙ったわけではないでしょうが、映画公開のすぐあとに実際にコンクラーベが行われたこと、なかなかのめぐり合わせだなあ、と思います。
この『教皇選挙』、Amazonプライムでたまたま目にとまって観ることにしました。
この作品はローマカトリックにおけるコンクラーベを題材にした政治サスペンスドラマです。
フィクションでありながら、現実のバチカンで行われる選挙の構造や緊張感が見事に描かれています。
そして何より私にとって印象的だったのは、この映画を「サスペンス作品」としてではなく、「政治学的視点」から自分が眺めるようになっていたとことです。
私は2023年から北海道大学公共政策大学院に学んでいますが、そこでの学びが作品の見方を大きく変えてくれたように思うのです。

教皇選挙のリアルな“駆け引き”
映画『強行選挙』の舞台はカトリックの総本山たるバチカンです。
教皇の死後、後継者を決めるために100名を超える枢機卿(すうききょう)がコンクラーベに参加。
完全に外部との連絡を断った中で投票を重ねていきます。

特徴的なのはコンクラーベは立候補制ではないということ。
集まった枢機卿が「誰がローマ教皇にふさわしいか」を考え、次の教皇に推したい者の名前を書いていくのです。
「なんとしても教皇になりたい」というアピールを熱心にする者ももちろんいますが、「私はローマ教皇にはなる資格はない」と何度も語る主人公など、なる気が一切ない者もいます。
投票の度に「ローマ教皇にふさわしい人物」を書いていくこの選挙。
誰かが2/3以上の投票を得るまで何度も投票をやり直していくところにコンクラーベの特徴があります。
映画の中では1回目の投票でバラけていた投票先が、交渉や相談・駆け引きを経て次第に候補者が絞られていきました。
決まるまで何度も投票を重ねるとはいっても、あまりにも時間がかかりすぎていると「枢機卿内での対立が深刻であるのではないか」と逆にカトリックの信頼が失墜することとなってしまいます。
だからこそ、なるべく急ぎつつも「妥当」な人物を教皇に決めるべく皆が動くことになります。
この投票のダイナミズムを味わえるのが『教皇選挙』の魅力です。
対立構造と暗躍
さて、『教皇選挙』の中では枢機卿たちのさまざまな「対立構造」が描かれます。
- カトリック内部の保守派とリベラル派の対立
- 白人の教皇か、それ以外の人種かという対立
- カトリックにおける男性中心主義に対する賛否
映画では教会内での不正問題も登場しながら「誰が教皇にふさわしいか」が延々話し合われます。
主人公は首席枢機卿としてこのコンクラーベの進行を担っています。
主人公はカトリックのなかでのリベラル派。
ところが有力候補が反動的なほどの保守派のため、なんとしてもこの候補が教皇になるのを阻止すべく動いていきます。
この駆け引きが観ていて非常に興味深いのです。
一体誰が教皇にふさわしいのか…。
いつのまにか視聴者も「誰が教皇にふさわしいか」を考える当事者の立場で考えるようになるのが面白いところです。
妥協が生まれる政治のリアル
この映画を通して私が特に面白いと感じたのは、「選挙における妥協のダイナミズム」でした。
誰か一人に最初から多数の支持が集まることはほとんどありません。
むしろ、何度も投票が繰り返される中で次第に投票先が整理されていきます。
その過程における「妥協」がとても興味深いのです。
この様子は現実の政治と非常によく似ています。

たとえば議会における法案審議でも、最初から完璧な案が通ることはまずありません。
複数の立場を持つ人々が、それぞれの意見や利害をすり合わせながら「最適解ではなく現実解」に近づけていく。
そうしたプロセスの延長線上にルールや制度が成立していくのです。
「妥協で決まったことに本当に意味があるのか?」
なかにはこういう人もいらっしゃるかもしれませんが、政治というのは決めるべきときにはたとえ妥協であっても決定しなければならないという特徴があります。
ちょうどコロナ禍のころに「非常事態宣言を出すかどうか」が政治の場面で議論されていましたが、不確かな状況下でも決定をしなければならないのが難しいところです。
この『教皇選挙』においても、不確かななかで決定しなければならないという政治の「困難さ」が明瞭に描かれていてとても興味深く感じました。
学問が世界の「見え方」を変える
私は公共政策大学院に進学以来、それまであまり縁がなかった「政治学」や「行政学」「法学」といった分野についても学ぶようになりました。
それまでは、政治や行政に対してはどことなく懐疑的であり、「信頼できないもの」という印象を持っていました。
ですが、学んでいく中で「政治は少しの無理を含みながらも、人々が共に生きるために必要な取り組みである」という認識が芽生えてきました。
政治はは決して完璧ではなく、むしろ不完全であるからこそ、絶えず調整と対話が求められます。
妥協をしなければならないことも多いですが、それでも決めなければ社会は前に進みません。
そうした学びの中で観たこの『教皇選挙』。
単なるフィクションではなく、現実の政治と重ね合わせて考える教材としても楽しむことができました。
以前の私であれば、政治におけるこうした側面にはあまり意識が行きませんでしたが、公共政策大学院での学びが映画の見方を変えてくれたように思います。
学ぶことで映画など物事の見方が変わる。
これも学問の意義ではないかと考えます。
学ぶことで変わる「世界の見え方」
大学院での学びは、単になにか知識を得るだけのものではありません。
大学院で授業を受けたり、本を読んだり、ディスカッションをしたりするなかで、日常のものの見方が大きく変わるのです。
日常を違う見方で観ることができるようになるという変化。
大学院に入るからこそ得られる気づきだと思います。
知識を得ることは「視点を増やす」こと
今、日本を含め世界では保守とリベラルの対立がますます先鋭化しています。
『教皇選挙』で描かれた対立図式はどこの世界でも観られるのです。
こういう時代、絶対的な正しさが存在するわけでないからこそ、解決するのは非常に困難です。
だからこそ、物事を多面的に見るための“視点”が必要になります。
それを与えてくれるのが、学問の意義であると言えるでしょう。
世の中が複雑になり、対立図式も深刻化するなかでこそ、学問で多様な見方を学ぶのがおすすめですよ!
☆『教皇選挙』も面白いのでぜひ観てみて下さい。
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映画『教皇選挙』を観ました。カトリックの教皇を決める選挙「コンクラーベ」の舞台裏を描いた政治サスペンスで、駆け引きや妥協、対立構造がリアルに描かれています。私はいま北大公共政策大学院で政治学などを学んでいますが、その学びにより作品を深く観ることが出来たように思います。学問がものの見方を変えてくれることを実感しています。