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マンガの神様・手塚治虫のスランプ時期
マンガの神様・手塚治虫さん。
(写真はWikipediaより)
18歳のときにマンガ家としてデビューし、
60歳で亡くなるまで
マンガ家として活躍し続けた人物です。
鉄腕アトムや火の鳥など
多くの名作を残しています。
いまも名前が残っている反面、
あまり知られていませんが、
40代前半の手塚さんは完全なスランプに陥っていました。
手塚治虫=時代遅れ?
手塚さんが40代前半にあたる
1970年代当時はさいとう・たかさんなど
劇画タッチの作品がヒットしていました。
昔ながらのマンガを描く手塚さんは
「時代遅れ」と
思われていたのです。
さらには
経営する虫プロダクションも虫プロ商事も倒産、
連載が全てなくなり、
起死回生でマンガの持ち込みを出版社に行うも
取りあってもらえないほど
マンガの仕事がなくなっていたのです。
やることがすべてうまくいかず、
近くにいた仲間も次々去っていく…。
完全にスランプでした。
『ブラックジャック』で大復活!
…ところが、こんな状態から
ある作品によって手塚さんは
復活します。
それが名作『ブラックジャック』(1973)なのです。
無免許の天才外科医ブラックジャックが
ときに法外な金額を患者に請求しつつも
オペ(手術)で命を救っていくという『ブラックジャック』。
最初はわずか4回のみの短期連載予定でしたが
評判につきそのまま長期連載が決まります。
最終的には掲載誌『週刊少年チャンピオン』を
一流漫画雑誌に引き上げる「快挙」まで成し遂げます。
ブラックジャックのヒットで
「マンガ家・手塚治虫」が再評価され、
多くの作品を連載する生活が再び始まったのです。
キャリアのスランプをどう乗り越えるか?!
最近、私はブログ内で
「キャリアアップを科学する」という
シリーズを書いていますが、
この手塚さんの姿を見ていると
キャリア形成におけるスランプ時期を
どうやって乗り越えていけばいいか、
示唆に富んでいるように思います。
☆「キャリアアップを科学する」シリーズはこちら↓
では、手塚さんはどうやってスランプを
克服したのでしょうか?
キーワードは
「強みを活かす」です。
実は『ブラックジャック』って
手塚治虫さんの「強み」を最大限に活かした作品と
なっています。
当時 週刊マンガ雑誌では
「ストーリーもの」ばかりが連載されていました。
週刊少年チャンピオンで当時連載されていた
野球マンガ『ドカベン』などは
いずれもストーリー漫画です。
でも『ブラックジャック』は
1話完結の作品として描かれています。
手塚治虫さんはデビュー以来
各話読み切りの作品を多く書いていました。
1話完結スタイルを得意としていたからこそ
ブラックジャックもこの路線を継ぐことになりました。
結果、毎回どんな話が来るかわからないので
読者がワクワクする作品となっていたようです。
ストーリー漫画全盛の時代だからこそ、
1話完結作品である『ブラックジャック』が
目立つことになったのです。
これ、
自分の強みを活かしたからこその成功だと言えるでしょう。
自分が医者であることを最大限に活かす!
更にいうと、『ブラックジャック』は
主人公が医者、という特殊性があります。
少年マンガ雑誌上で医療マンガが連載されるのは
『ブラックジャック』が初めてだったと
よく言われています。
こういう新鮮さももちろんありますが、
手塚治虫さん自身が医師免許を持っていることも
『ブラックジャック』がヒットした理由につながっています。
つまり自分が医者であるという強みを
『ブラックジャック』の手術シーンでのリアリティや
物語構築に最大限活用したのです。
強みを活かしたからこそ、スランプを抜け出した!
まとめますと、
『ブラックジャック』は
手塚さんの「強み」を最大限に生かしたことで
大ヒットさせることができたわけです。
(結果、スランプを脱することもできました)
経営学者ピーター・ドラッカーも
経営において「強み」を徹底的に伸ばす重要性を
述べています。
弱みが意味をもたらさないレベルまで
徹底的に強みを伸ばす!
それが大事だとドラッカーは書いています。
手塚さんのスランプ克服も
まさに同じ方法でおこなったと言えるでしょう。
スランプ時期の手塚さんは
「流行」に乗って劇画タッチの作品や
シリアス路線の作品など、
本来の自分の強みを活かせない作品にも
挑戦していました。
ですが、ことごとくヒットしなかったのです。
反対に、自分の「強み」を活かした作品に挑戦することで
スランプを脱することができたのです。
スランプ時期こそ
自分の「強み」に専念する!
それが大事ですよ!
今回のポイント
キャリア形成のスランプは誰にでもある!
スランプ時こそ自分の「強み」で乗り越える!
諦めずやり続けたことが復活の理由。
キャリア形成におけるスランプは
誰にもあります。
長い人生の中では
やることなすこと全て上手くいかないという
不遇の時期があります。
手塚治虫さんでさえ、
40代前半にスランプで悩むことになりました。
当時、手塚さんはマンガ家としての名声もありましたし
印税もたくさん入っていました。
そのため、
たとえ連載がなくても
引退して生きていけたことが想像されます。
あるいは有名人として講演やテレビ出演で
食べていくことも可能だったかもしれません。
ですが、手塚さんはそういう安易な選択をせず、
現役のマンガ家として戦い続ける選択をしました。
そうやって『ブラックジャック』という
作品を送り出す事ができたのです。
時流に流されず、自分の強みを活かせ!
手塚さんの姿からわかるのは、
下手に時流に流されないので
自分の強みを活かす方向で
挑戦することの大事さです。
安易に諦めたり
流行に乗ったりしなかったことが
スランプ克服につながったのです。
キャリア形成のスランプ時期の乗り越え方。
手塚さんに学んでみてくださいね!
ではまた!
☆今回の記事は以下を参考にしました。
ブラックジャックはなぜ面白いのか?死の淵からなぜ国民的マンガにまでなったのか?「医者はどこだ」から完全解説!手塚治虫の最高傑作を考察してみた。
マンガの神様・手塚治虫さん。実は40代前半に劇画の流行で「時代遅れの作家」と思われ、連載も失い経営する会社を2社とも倒産させるというスランプに悩まされていました。苦境に立たされるも、自身の強みを活かした『ブラックジャック』で再評価されました。キャリアのスランプを乗り越えるには、自分の強みに専念することが重要だと手塚治虫さんが教えてくれているのです。