クラーク博士が学生に慕われた理由とは?人柄こそが相手に伝わる!

今回のポイント

教育は人間としての関わり。
クラーク博士の生き様に学ぶ!

教室のすぐとなりが北海道大学。


私の教室は
北海道大学のすぐそばにあります。

これまで教室を
3回移転させていますが
いずれも北大の門のそばです。

最初は北大正門そば(最寄り:札幌駅)、
2回目は北13条門そば(北12条駅)、
3回目となる今は北18条門そば(北18条駅)と
なっています。


今年4月から
北大大学院に入ることにもなったのも
北大のそばに教室があるためでもあります。

国公立大学なのに「建学の父」「創設者」的な人がいる大学

さて、北大は
全国にある国公立大学のなかでも
稀有な特徴を持っています。

それは国公立大でありながら
「建学者」「創設者」のような存在が
全面に押し出されていることです。

私立大学なら
慶應義塾大学の福沢諭吉
早稲田大学の大隈重信(おおくましげのぶ)が
有名ですね。

他にも同志社大学の新島襄(にいじまじょう)、
東洋大学の井上円了(いのうええんりょう)なども
有名どころです。

福沢諭吉像

でも、東大や京大のような国立大学には
こういう人物はあまりイメージされません。

唯一・北大だけが
クラーク博士という「建学者」
「創設者」のような存在を
持っているのですね。

北大内のクラーク像




これは私がはじめて北海道に来た
11年前からずっと思っていたことです。

実際、いまも北大の中には
あちこちにクラーク博士の存在を
イメージした看板や施設もあります。


(クラーク会館という
 そのまんまな建物もありますし、
 お土産としてクラークグッズも多く売っています)


そんなクラーク博士(ウィリアム・スミス・クラーク)。

日本にいた期間は
実は約8ヶ月間と短いのです。

アメリカで当時 学長を務めていた
マサチューセッツ農科大学を
1年休みを取る形で来日し、
作られたばかりの札幌農学校(北大の前身)で
初代・教頭として勤務することになったのです。


(誤解をしている方も多いですが、
 クラーク博士は校長ではなかったのです)

意外と知られていない、クラーク博士のエピソード

実はクラーク博士は
アメリカの南北戦争にも参戦し、
「クラーク大佐死亡」という誤報が届くほど
過酷な戦場で活躍もした人物です。


名著『クラーク先生とその弟子たち』には
そんなクラーク博士のイキイキしたエピソードが
いくつも掲載されています。

札幌農学校1期生の大島正健が
ありし日々を思い返して書いた1冊です。

(本自体が分厚いので
 クラーク博士に関する記述は
 全体のごくわずかとなっていますが)

禁酒禁煙、厳格なクラーク博士

クラーク博士は厳格な人でした。



学生に対し
禁酒禁煙」を呼びかけた人物であったほか、
当時の開拓使長官だった黒田清隆とも
教育方針について熱く議論をしています。

「道徳教育をしてほしい」
という黒田清隆に対し

「キリスト教によらなければ
 道徳は教えられない」
と主張するクラーク博士。

「しかし、キリスト教は国禁だ」
と黒田清隆との間で議論が白熱します。

最終的には
クラーク博士の人格に感銘を受け
「自由に教えていい」という言質(げんち)を
勝ち取るのです。

それ以来、学校内の日曜学校で
聖書の講義をクラーク博士が行うことになりました。

札幌農学校の授業中には
きちんと予習をしてくることが求められ、
学生は必死に勉強をしていました。

(当時、講義は日本語ではなく
 英語など
 外国語で行われていました)

学生に雪玉をぶつけるクラーク博士。

厳格に授業をする反面、
休日には学生をつれて
登山やフィールドワークに出かけていました。

閉じこもって勉強している学生に対し

「ずっと室内にいるのは体に良くない」

といって引きずり出して
同行させた話も興味深いです。

(フィールドワーク中に
 「これは新種ではないか」といって
 植物を採取させたところ
 後日本当に新種だと判明する話など、
 研究者としても一流の人物だったのです)


雪の札幌で
学生が寒がってポケットに手を入れていると
すかさず雪玉をぶつけてくる人物でした。

この雪玉、
通称「クラーク球」と呼ばれていて
ものすごく硬くて痛い雪玉だったのです・・・。


学生がびっくりして反応すると

「どうだ、動いて暖かくなっただろう?」

背中を叩く茶目っ気あふれる
人物だったのです。


クラーク博士が学生に慕われた理由とは?

本書『クラーク先生とその弟子たち』を読むと
クラーク博士が学生に慕われた理由が
よく伝わってきます。

けっして学校で偉ぶっている人物でも
学生とまったくかかわらない人物でもなく、

日常的に学生と気さくに接し、
休日も学生と

一緒に過ごすことを好む人物だったのですね。

私も読んでいて
この時代の札幌農学校で
学んでみたくなってきました。

(本書にはクラーク博士「音痴説」なども出てきて
 その点も面白いです。
 賛美歌をあえてリズムを無視して歌うところが
 まさにその理由です)

今回のポイント


教育は人間としての関わり。
クラーク博士の生き様に学ぶ!

馬に乗って去っていく。

クラーク博士が8ヶ月の滞在を経て
帰国をする際、
別れを惜しんで学生たちがクラーク博士を
送り出します。



島松(現 北広島市島松沢)での最後の挨拶の際、

「Boys, be ambitious!」
(少年よ大志を抱け!)

という有名な挨拶をし、
乗って去っていったクラーク博士。

教え子たちとはそれが
永遠の別れになるわけですが、
非常に印象深い別れだったのだろうなと
想像できます。

クラーク博士との別れの後、
札幌農学校1期生たちは
あちこちの分野で人材として活躍をしています。



クラーク博士は60歳で生涯を終えますが
死の床で

「私は私の生涯でやった色々なことを振り返って、
 心のなかにこの上なく満足に思うのは
 日本の少年をキリストに導いたことであった」

 (282頁)

と語りました。

クラーク博士にとっても
札幌農学校での日々は
生涯忘れられない思い出となったのですね。



教育においてこういった深い関わり、
塾を経営している私にとっても
たいへん感銘を受けます。




人柄が相手に伝わる!

クラーク博士が教えてくれるのは
「人柄」の大事さです。


単に授業だけをするだけでなく
人間としての関わりをしていたからこそ
学生にとっても忘れがたく
一生につづく影響を与えられたのですね。


私もクラーク博士に学び、
よりよい塾を目指したいと思います!



ではまた!


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1件のコメント

クラーク先生の心温まるエピソード、ありがとうございます。

人の巡り合わせ、人のつながり、やくわり、役割分担が大切ですね。

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