グチりたくなったから考えるべきこと。他者に「期待」するの、やめませんか?

今回のポイント

他者に対する「期待」を捨ててみませんか?

グチりたくなるとき、ありませんか?

仕事をしていると
色々と「課題」や「問題」にぶち当たることがあります。

上司からの要求や
当面の仕事の方向性ぎめなど
様々な課題・問題と日々戦うことがあります。

そういうとき

「周りが全く協力してくれない…」

「誰もわかってくれない…」

グチを言いたくなることって
ありませんか?

私も学校教員時代、
グチりたくなることが
多々ありました。

これは学校教員に限らず、
組織で仕事をする人すべてに
当てはまる事かもしれません。

グチをいいたくなる背景に「期待」がある。

でも、実は「グチ」をいいたくなるのって
他者に対して過剰に「期待」をもっていることが
原因かもしれないのです。

戦前に活躍した哲学者に、
三木清という人物がいます。

残念ながら治安維持法違反で投獄され、
戦争が終わった後も獄につながれたままで体調を崩し、
結果 牢獄の中で亡くなってしまうという
悲劇の哲学者です。

そんな三木清は
『人生論ノート』という
名著を残しています。

私は大学院でうつ状態にあった時、
本書を読んでちょっと元気が出てきたという
記憶があります。

期待は人を潰す!

この『人生論ノート』には

「期待は人を潰す」

という話が出てきます。

たとえば誰かに対し

「きっと良い成果が出ることを
 期待しています」

「将来 活躍なさることを
 期待します」

などと話すことは
相手をこちらの思う方向に無理やり動かすことに
つながります。

過剰な期待をかけてしまうと、
それが原因で相手は潰されてしまうのです。

実際、前途有望そうな人材が
周りからの過剰な「期待」に応えられず
うつになったり退職したりするのを観たことがある人も
多いのではないでしょうか。

期待は呪詛である。

誰かに期待をすることは
相手の「ありのまま」のあり方を認めず、
特定の方向に導くという
「呪詛」(じゅそ)をかけることになるのです。

(なお、三木清自身は
 「呪詛」と言っていませんので念のため)

おまけに「期待通り」にならなかったとき、
期待していた方も
失望することになってしまいます。

なので他者に対する
過剰な「期待」を捨てたほうが
人生はラクになるのです。

期待するのも期待されるのも
どちらも疲れるだけです。

  

今回のポイント


他者に対する「期待」を捨ててみませんか?

他者への期待は「甘え」と同じ。

「期待は人を潰す」。

『人生論ノート』のなかで
私が最も印象深く感じた部分です。

期待というのはある意味
「甘え」とも言えます。

周りはこういうことをやってくれるだろう、
きっとうまくいくだろうという
「甘え」の裏返しでもあるのです。

助けてくれないのを「前提」として考える!

仕事においても
キャリアアップのための勉強においても
周りが協力してくれなかったり
はたまた周囲が理解してくれなかったりと

「期待はずれ」なことも
多いかもしれません。

でも、そもそも「期待」をする発想自体を捨て、
「周りは助けてくれないのが当然」
「周りは理解してくれないのが当然」

発想を変えてみたほうがいいのです。

不思議ですが、
まったく期待しなくなったほうが
周りは助けてくれること・理解してくれることが増えますし、
助けてくれたり理解してくれたりしたことへの
「感謝」の思いが強くなるのです。

なので仕事も勉強も
「期待」を捨てるところから
始めてみてはいかがでしょうか?

ではまた!


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