1964年の東京五輪もそんなに盛り上がっていなかった?!学問史を学ぶべき理由とは?

今回のポイント
「学問史」を学ぶことで
研究の方向性が大きく定まる!
過去の出来事について「思い込み」ではなく
きちんと調べて理解してみる!

 

 

ぜんぜん盛り上がっていない東京オリンピック…

 

あと数日で開催を迎える
東京五輪。

 

 

昨年から「延び延び」になった
このオリンピック。

 

テレビや新聞、
また知人と会話する中でも
「ぜんぜん盛り上がっていないよな…」
という認識を感じます。

 

(北海道にいるから、でしょうか・・・?)

 

 

そのたびに私はこう感じていました。

「前回1964年のときは
みんな楽しみにしていたし、
当時伸びゆく日本を世界に誇れる機会となった。

それに比べて今回はなんて盛り上がっていないんだろう…」

 

そう思っていました。

 

実は1964年もたいして盛り上がっていなかったという事実。

 

 

ところが。

 

実は1964年のオリンピックのころも
そんなに盛り上がっていなかったようですね(笑)

 

 

 

辻田真佐憲さんの『超空気支配社会』という本を読んで
このときの「空気感」がようやくわかってきました。

 

「64年の大会(注 1964年のオリンピックのこと)は、
周到に準備され、
国民にも歓迎され、
大いに盛り上がって成功したと思われている。

だが、じっさいはそんなに単純ではなかった。

 

そのことを象徴するのが、
前年1963年1月6日付「読売新聞」朝刊に掲載された記事
「試練の年63年 オリンピック 盛り上がらぬ世論
”責任体制”どうつくる」である。

ここでは、きたるオリンピックの問題が
4点に整理されている。

(1)国民が、関係者まかせで無関心である
(2)組織委員会が、無責任で「半身不随」状態である
(3)関係者が、オリンピックに便乗して
補助金や公共事業を乱発している
(4)関係者が、主役である選手を無視して
独善的なプランを立てている

 

驚くべきことに、64年のオリンピックも、
今日と同じような批判に晒されていたのだ。

 

これは「読売新聞」だけではなく、
各紙で見られた論調だった」

(辻田真佐憲『超空気支配社会』文集新書
Kindle版No.180-189/3151)

 

著者の辻田さんも言うように
「64年のオリンピックも、
今日と同じような批判に晒されていた」

のですね。

 

 

そう聞くと、
この50年近くで
なんにも変わっていないことが
非常に滑稽に感じてしまいます。

 

 

始まったら盛り上がってしまうというミーハーさ。

 

ただ。

 

面白いのは、
そういう「関係者まかせ」で
盛り上がっていなかったはずなのに、
オリンピックがはじまると
そこそこ盛り上がってしまったところですね(笑)

 

始まってみたら
日本選手の活躍がめざましく
一気に引き込まれた人も多かったようです。

 

 

良くも悪くも
日本人ってミーハーなんだなと思います。
(私も含めて)

 

 

 

今回のポイント

 

 

今回のポイントです。

 

「学問史」を学ぶことで
研究の方向性が大きく定まる!
過去の出来事について「思い込み」ではなく
きちんと調べて理解してみる! 

 

「幻想」を持っていませんか?

 

私もなんとなくイメージで

「1964年の東京五輪のときは
きっと開催前からみんなが
東京オリンピックを待望し、
すすんで協力をしていたのだろう」

的な想像をしていました。

 

 

…見事に「幻想」だったことに
本を読んで気づいたのです。

 

 

専門の研究をするには「歴史」をたどることが不可欠な理由。

 

 

やはり、専門の研究には
「歴史」をたどるのが必要不可欠ですね。

 

イメージで考えたり、
現在の「雰囲気」から考えるのではなく、
きちんと歴史をたどってみることで
正確な認識を得ることができるからです。

 

 

ナイチンゲールの時代の「病院」観

 

 

以前も書きましたが、
私は今「近代看護教育の母」ナイチンゲールの書いた
『看護覚え書』を読んでいます。

(1860年に刊行された「古典」です)

 

 

看護学が成立する
初期に書かれた書物。

 

これを読むと
「なぜ看護が重視されるべきか」など
歴史的な背景がよく伝わってきます。

 

 

特に興味深いのは
当時「病院」というのは
〈貧しい人が行くところもなく行く場所〉
だと思われていたところです。

 

ナイチンゲールが本書を書いた頃は
自宅に医者を呼び、自宅で療養をするのが「ふつう」でした。

 

 

『看護覚え書』の解説にもこうあります。

「当時は一般に、
病院とはいわば貧民患者の収容所で、
患者の管理など行き届いていない場所だと
考えられていた。

また当時は、
病人は自宅で療養し、
医師の訪問診療を受けるのが
普通であった」

(湯槇ます ほか訳『看護覚え書』解約第7版
71頁脚注)

わざわざ入院するのは
自宅で療養もできないほど
貧しい人ばかりだったのです。

 

 

そういう状況だと
病院は「とにかく人を詰め込む」ような発想になってしまいます。

 

 

それが原因で感染病の流行などが
相次いでいたようです。

 

ナイチンゲールが看護学の構築を呼びかけた背景には
こういった病院設備の貧弱さをなんとかしたい、
という想いがあったわけなのですね。

 

 

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こういう歴史を知るからこそ、
その学問の成立状況や
その学問の問題意識も伝わってくるものです。

 

大学院を目指すなら「学問史」も学べ!

 

だからこそ、
大学院進学を目指す際は
その学問の発展の歴史について学んでみることも
オススメしますよ!

 

探してみるとどの学問分野でも
「○○学史」というタイトルで出ていますので
見つけやすいです。

 

 

社会学の持つ問題意識

 

実際、私も社会学を大学院で学ぶ際
もともと社会学が

「近代化によって皆が平等になったはずなのに、
なぜ階級・格差がなくならないのか」

という問題意識のもとに発展してきたことを
まったく知っていませんでした。

 

 

そのせいで
社会学の本を読んでいても

「なぜこの文献では
こういった主張がなされているのだろう」

という「背景」がさっぱり見えてきませんでした。

 

 

修士課程の途中でようやく

「ああ、社会学というのは
階級・格差の問題に
昔から取り組んできたのだな」

と気づいてから、
社会学の理解が深まったのを覚えています。

 

 

ともあれ、学問史、
一度学んでみることをオススメしますよ!

 

 

ではまた!


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