ナイチンゲール『看護覚え書』を読んでの意外な発見。「読まなくてもわかったつもり」になっている本こそきちんと読んでみる!

今回のポイント
名前だけ知っている思想家・研究者。
思い切って著作を読んでみる!

 

もっと本格的に大学院で学ぶにはどうすれば?

 

「もっと本格的に大学院で
 研究を進めていくにはどうしたらいいのだろうか…」

 

今回はそういうことで
悩んでいる人のために書きましたのでどうぞ↓

 

 

・・・

 

なんども書いていますが
いまナイチンゲールの
『看護覚え書』を読んでいます。

 

 

 

『看護覚え書』、
ナイチンゲールが1860年、
40歳のときに書いた本です。

 

 

有名なクリミア戦争従軍が
1854年で34歳の時。

 

そのあとの著作になります。

 

 

病院経営についても?ナイチンゲールの著作を読む。

 

この『看護覚え書』、
看護師でもない私でも
読んでいるとけっこうためになります。

 

 

何かというと
「病院経営」についての
視座も書かれているからです。

 

 

 

つまり、看護師の「善意」で成立する看護ではなく
「システム」として看護を成立させる仕組みが重要だと
本書を通じて何度も伝えられているからです。

 

 

「言い換えれば、
「あなたがそこにいるとき
自分がすることを、
あなたがそこにいないときにも
行なわれるよう対処する方法」
知らないならば、その結果は、
すべてが台無しになったり、
まるで逆効果になったりしてしまうであろう」

(ナイチンゲール『看護覚え書』改訳第7版,64頁)

 

「責任者たちは往々にして、
「自分がいなくなると皆が困る」ことに、
つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計などが
わかるひとも扱えるひともいないことに
誇りを覚えたりするらしい。

私に言わせれば、
仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども、
誰もが理解し扱いこなせるように

ーーすなわち、自分が病気で休んだときなどにも、
すべてを他人に譲り渡して、
それですべてが平常通りに行なわれ、
自分がいなくて困るようなことが絶対にないようにーー

方式を整えまた整理しておくことにこそ、
誇りを覚えるべきである」

(ナイチンゲール『看護覚え書』改訳第7版,78頁)

個々人が自主的に気づいたり対応したりすること、
つまり個人の力量によって回る仕組みではなく、
自分がいなくても成立する仕組みを作る。

 

 

 

この大事さを
ナイチンゲールが指摘していることに
ある意味「意外」な感じがしています。

 

 

ナイチンゲールのイメージって
「白衣の天使」であり、
こういうシステム設計めいたことを
言っているような印象はなかったからです。

 

 

なんとなくイメージでは
「自己犠牲的精神あふれる人」という
思いでいましたが、

〈看護師の待遇改善〉や
〈名人芸ではなく、
システムとして患者を
適切に看護する仕組み〉
を提唱していたことを知り、
改めてナイチンゲールの凄みを感じています。

 

 

今回のポイント

 

 

今回のポイントです。

 

 

名前だけ知っている思想家・研究者。
思い切って著作を読んでみる! 

 

 

有名な作品って、意外と読まないままになりがち…。

 

これは大学院受験時や
大学院進学後に多いケースですが

ある程度有名な思想家や研究者の本って
意外と読まないままになってしまいがちです。

 

 

 

たとえば社会学をやっている人の間では
マックス・ウェーバーの
『プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神』(通称:プロ倫)
については

〈読んだことがないけど、
何を書いてあるかなんとなく分かる〉

人が多いです。

 

(当然、きちんと読んでいる人も多いですけど)

 

 

なぜなら、各種解説書や
社会学の入門書において
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がどんな本であるか、
あちこちで解説が書かれているからです。

 

 

そのためついつい
〈読まないまま〉になってしまいがちです。

 

 

 

同様に、看護学において
「看護理論」と呼ばれる分野についても
解説書や入門書で書かれているので
もとの作品を読まないまま、になってしまいがちです。

 

「読んだつもり」でいるのはもったいない!

 

これだと実は「もったいない」のです。

 

なぜかと言うと、
解説書や入門書といっても
結局は作品の「一部」しか解説しておらず、
全体的な内容について書かれているわけではないからです。

 

 

そのため、もとの作品を読んでみると

「あれ、思っていたのとぜんぜん違う…」

という発見が相次ぎます。

 

 

でもこの発見も、
実際に読んだから得られるものです。

 

 

読まないままだと
永久に「誤解」したままであるかも
しれないのです。

 

 

 

 

最近の学生さんには講義で読むべき本がある場合
ネットで「解説記事」なり「解説動画」なりをまず調べ、
それを見ることで

「読んだつもり」

になるケースもあるようです。

 

これ、もったいないな、
と思うのです。

 

なぜなら、もとの作品を読むことで得られたはずの
「発見」が得られなくなるからです。

 

(私も本の解説動画やら
解説記事やらを作っているので
若干「責任」を感じています…)

 

 

 

だからこそ
古典といわれる作品を読むことには
発見が多いのですね。

 

 

 

ぜひ時間を作って、
有名な作品にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

 

 

ではまた!


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