ブックカバーチャレンジ中。本を読んだらアウトプットを!




今回のポイント

本を読んだらアウトプット。
期間を決めた「ブックカバーチャレンジ」が
アウトプットの質を高める!

ブックカバーチャレンジ



「ブックカバーチャレンジ」という
取り組みがあります。

 

これから読む本・
読んだ本をFacebookなどのSNSで報告していく、
という取り組みです。

 

私は北海道大学のCoSTEP(コーステップ)という
社会人向けプログラムをいま受講しています。
 

 


そのプログラムの一環で
「ブックカバーチャレンジ」を今週月曜から金曜日
まいにち行う事となったのです。

 

 

私、年がら年中本は読んでいますが、
本を読んだ後記録しているのはタイトルを書くくらい、
でした。

 

そんな私が今週
「ブックカバーチャレンジ」をすることに。

 

これまで読んできた本について
内容やコメントを記録していくことになりました。

 

ちょっと大変ですが、
自分の勉強の一環として取り組みたいと思います。

 

 

レジュメにまとめると理解が深まる!

大学院生のころ、
博士課程の諸先輩方と読書会を行っていました。

 

 

そのときに教わったのは

「レジュメを作るながら本を読むことで
 真に理解が深まる」

「哲学を極めるには
 レジュメを作りつつ読んでいくこと」

ということです。

 

 

ブックカバーチャレンジのために
いま一度本を読み直してみると
理解も深まります。

 

ブックカバーチャレンジで
本の内容をいま一度理解することが
できそうですね。

 

今回のポイント

今回のポイントです。


本を読んだらアウトプット。
期間を決めた「ブックカバーチャレンジ」が
アウトプットの質を高める!

 

今週はまいにちチャレンジ!

北大授業の中での
ブックカバーチャレンジは
Facebookグループ内で
今週月曜から金曜まいにち行う予定です。

 

 

多少大変ですが
成長のために続けていきたいと思います。

 

(本当に続くのだろうか…?)。

なお、せっかくなので
昨日 私が書いた「ブックカバーチャレンジ」、
こちらにも転載しますね↓

 

昨日のブックカバーチャレンジ『日本語の作文技術』

【ブックカバーチャレンジ】その1(担当:藤本研一)
本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞、1982年)

私のブックカバーチャレンジの1冊目は
自分の人生においても大きな影響を与えた本を紹介します。

私は大学院進学や文章の書き方をお伝えする塾を経営しています。
この本は塾の中でも言及することが非常に多い本となっています。
 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「うまく文章が書けない…」というときって多くありますよね。

本書は修飾語の並べ方から句読点の打ち方、
助詞の使い方など実用的な日本語をいかに書くか、
明快なルールのもとに解説をしています。

 
すぐ使えるものとしては
「長い修飾語は前に、短い修飾語は後ろに」というルール。
文章を書く時ついつい適当な順序で修飾語を並べてしまいがち。

でもそうすると読んでも意味が伝わりにくいものとなってしまいます。
そんなときに「長い修飾語は前に、短い修飾語は後に」ルールを用いると、
意味が伝わりやすくなるのです


 

(本書において本多は「修飾語」という言葉を広く捉えています。
 ある意味で述語以外のものをひっくるめて
 「修飾語」と言っていますのではじめて読むと
 そのあたりに違和感を持つ人もいるかも知れません)。

 

例をあげてみましょう。
朝日文庫版57ページには次の例が出ています。

(A)明日は雨だとこの地方の自然に長くなじんできた私は直感した。
(B)この地方の自然に長くなじんできた私は明日は雨だと直感した。

 

AもBも同じ内容を伝えています。

 

ですが、多くの人はBの方を読みやすく感じるはずです。

それは「この地方の自然に長くなじんできた私」という
「長い修飾語」を前に持ってきているからです。

 

このように「長い修飾語は前に、短い修飾語は後に」ルールを
1つ覚えるだけでも文章の書き方は格段と変わってくるものなのです。

 

書き言葉の特権性

 

さて、本多が本書を書いた目的の1つに
「書き言葉」の特権性についての問題があります。

 

具体的には在野の民俗学者である萱野茂
(かやの・しげる:二風谷アイヌ資料館館長として有名。
アイヌ民族初の国会議員も務め「北海道旧土人保護法」廃止に尽力しました)氏の
研究を本多としてもサポートしていきたい思いがあったようです。

 知識に対する萱野氏の姿勢は実に謙虚で、
 よく在野の研究家にありがちな、
 わからないところも知ったかぶりで牽強付会したり、
 他人の知識も自分のものとして語ったりする姿勢は微塵もありません。
 
 (…)そのような萱野氏が、大学の学者のやるようなかたちで研究報告を
 書けなかった原因はただひとつ、そのための「技術」を
 おしえられていなかったからにすぎません。
 
 何の分野でもそうですが、資本主義型管理社会での教育は、
 少数の専門家と多数の非専門家とに強引に選別するのが目的ですから、
 ほんとうは誰でもやればできる技術さえ教えないでおいて、
 糞の役にも立たぬことを選別が目的で義務教育の授業に加えます。

 テンの打ち方もろくに教えない日本語の授業と、
 生涯使うことのない人が多いイギリス語などでは
 コンマの打ち方を精密に教える授業。

 (…)これらは植民地における教育の基本と全く共通しています。

  本多勝一『日本語の作文技術』322-323ページ

当事者が自ら自分の考えや思想・経験を書き言葉で表現をしていく。
そのための「技術」がなにも伝えられていないことへの
本多の問題意識から本書は書かれた側面があります。

 同じことは、あらゆる地方・あらゆる職場の
 「地元」なり「現場」にいる人々についてもいえます。

 ルポ=ライターが行くまでもなく、
 そこにいる人こそ最も深く事実を知っているのですから、
 その人々がペンを持てば一番いい。
 そのためにはほんのちょっとした技術さえ知っていればいいのです。

本多勝一『日本語の作文技術』324ページ

論文を書く力を持った研究者や専門家、
「ルポ=ライター」だけが物事をつたえられるわけではありません。

むしろ「地元」「現場」の当事者がどんどんアウトプットしていったほうがいいのです。

ところが、そういったアウトプットのための
「日本語の作文技術」は教えられることなく放置されているわけです。

 

本多の考え方はSNS全盛時代のいまにも通じています。

 

誰もがSNSで発信ができるときだからこそアウトプットのための
「日本語の作文技術」を学ぶ意味は大きくなっているといえるでしょう。

 

なお、現在では本多のルポルタージュについて、
特に日中戦争に関する取材については賛否両論の声が出ています。
 
私も若干疑問に感じる視点も無いわけではありませんが、
本書は「日本語で文章をどう書くか」を学ぶ上で
最良の一冊であるといまだに思っています。

 

 

2つやるのは大変…。だからこそ成長になる!

さて、
ブログやメルマガも書いて
「ブックカバーチャレンジ」も書いて…と
2つやるのは少々キツイですね(笑)

ですが、
キツイ時・大変なときこそ
大きく変わることができます。

なので、
私も頑張っていきたいと思います!

 

ではまた!