暇・退屈は心を蝕む。コロナ禍でこそ『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)を読むべき理由!

今回のポイント
「暇」「退屈」という苦痛は心を蝕む。

 

コロナで「暇」や「退屈」を感じるときは。

「ああ、なんか退屈だ…」

「毎日がなんとなく過ぎていき、
 ちっとも充実していない…」

あなたはこのような気分になること、
ないでしょうか?

 

コロナに伴う「緊急事態宣言」で、
こういう「退屈」や「充実していない思い」を
実感している人も多いかも知れません。

 

 

研修依頼が続々と中止・延期…。

 

…私、コロナ禍において
こういう気持ちになることがけっこう増えました。

 

 

たとえば、私は「ビジネス文書研修」講師として
企業研修や職員研修の依頼を受けることが多くあります。

 

 

その講義依頼が
「緊急事態宣言」で急に延期になったときなど、
急にできてしまった「なにもない日」を
どのように過ごしていいかわからなくなるのですね。

 

(1日や2日だと「臨時休暇」として
喜ぶこともできますが、
それ以上だとそんな気持ちにもなれません。

 5〜6月、けっこう研修が中止や延期になってしまい
 切ないのです…涙

 

 

コロナ禍こそ『暇と退屈の倫理学』を読もう!

こういう状況において
読んでみると
たいへん面白い本があります。

 

 

それが哲学者・國分功一郎さん
『暇と退屈の倫理学』(増補新板)です。

 

 

☆國分さんの本については
以前こちらの記事でも書いています↓

 

 

本書はこれまであまり検討されてこなかった
「暇」「退屈」ということに対し、
真正面から向き合った本となっています。

 

 

 

テーマは
「人間はなぜ暇・退屈をするのか」
「その暇・退屈から抜け出るにはどうしたりいいか」。

 

これに終始します。

 

 

「こうして、暇のなかでいかに生きるべきか、
退屈とどう向き合うべきかという問いがあらわれる。
〈暇と退屈の倫理学〉が問いたいのはこの問いである」

(國分功一郎, 2015,
『暇と退屈の倫理学 増補新板』24ページ)

 

 

ただ、こういう話をしていると、

「暇とか退屈とかって、
そんなに真剣に考えるほどのテーマなの?」

人によってはそんな疑問を持つかも知れません。

 

 

かくいう私も読むまではそう考えていました。

 

 

ところが…。

「暇」「退屈」を感じるのって
「幸福」を感じる時というよりは
「不幸」を感じるときののほうが多いですよね。

 

 

…ということは、
「暇」「退屈」問題を克服する方法を考えることは

「いかに日々の生活を充実させるか」
「いかに幸福になるか」
というテーマと直結しているわけなのです。

 

 

コロナで閑散とした街なかを歩いて思うこと。

 

いま、札幌の街なかでは
「コロナの緊急事態宣言」により
土日に営業している店は
ほとんどありません。

 

急に仕事が休みになり
「暇」「退屈」と向き合わざるを得ない人もいますし、

私のように
「たまの休みなのに、どこにも行く場所がない」
という事実と向き合わざるを得ない人も出ています。

 

 

いまのコロナ禍の怖いところは
こういう私の発言に対し、

「いま、コロナで仕事がなくなっている人もいるのに、
そんな悠長なことを言うな!」

「そんなことを言うのは
恵まれた立場なのだ!」

という批判を誰もができてしまうところ。

 

「何をのんきなことを言っているんだ」
と誰もが批判をできてしまいます。

 

 

でも、
これもある意味「おかしな話」な気がします。

 

 

だいいち、
私のように土日のショッピングが
「唯一に近い趣味」だった人は

「生きがい喪失」

とも言っていい状況になっている可能性も
あるわけですね。

 

 

 

あまり着目されていないだけで
この「暇」「退屈」という苦痛は
意外と精神を蝕んでいるかも知れないなと
思うわけです。

 

 

もっというと、
コロナ禍でDVや虐待などが増えているのも
「何もやることがない」
という「暇」「退屈」が与えている影響も
かなり大きいように思うのです。

 

 

コロナ禍が明らかにしたこと。

 

コロナ禍が明らかにしたのは
【「暇」や「退屈」が
いかに人々の心に傷を残すか】
ということでもあります。

 

 

 

旅行好きな人が移動を制限されたり、
行きたい場所に全く行けない日々が
強制されたり。

 

 

そうすると、
人々が「することのない時間」と
直面することになります。

 

 

それだけではなく、
自粛要請のせいで
仕事をしたくても
できない人もいます。

 

そういう時代状況だからこそ
この『暇と退屈の倫理学』は
大変興味深い本のように思うのですね。

 

 

コロナ禍で他者への「寛容度」が
低下しているのも、

究極的にはコロナによって
「暇」「退屈」とイヤでも向き合わざるを
得なくなってきたところにその原因があるのではないか、
とも思うのです。

 

 

今回のポイント

 

 

今回のポイントです。

 

「暇」「退屈」という苦痛は心を蝕む。 

 

 

資格試験・勉強へのチャレンジ

 

昨年から、各種 資格試験に挑戦する人も
増えたようです。

 

これ、「今後、自分の仕事があるか不安だから」という理由よりも
単純に「することがないから」「暇だから」ということに
理由があるように思います。

 

 

人間、
急に仕事が減ったり
することが無くなったりした状況に
なかなか適応できないのです。

 

 

『暇と退屈の倫理学』では
こういう「何か自分が没頭できることを見つける」という
解決策は必ずしも称賛されてはいません。

 

ですが、

「きょう何をしていいかわからない」
「何もやりたいことが見つからない」
「なにかしたいのに、なにもできない」

という苦痛と向き合うくらいなら
資格試験なり読書なり何らかの勉強なりに
エネルギーを傾けるのも意味があるのではないでしょうか。

 

(私も「大学院博士課程進学」を目標に
勉強していますし)

 

 

ちなみに、
特に行く場所もなくなってしまった私は
週末その辺をジョギングすることにしています。

こんなに店が休みだと
「走る」くらいしかやることがないです。

 

 

おそらくですが、
コロナ禍でマラソンファンは
一気に増えたのではないでしょうか?

 

(走っていると
自分同様に走っている人と
しょっちゅう出会いますし)

 

 

…ともあれ、
コロナによる「暇」「退屈」を
いかに克服するかを考える上で

本書のような本を
じっくり読み込むのも有効だろうな、
と思う次第です。

 

一応は「哲学書」のように見えますが、
自分が「なんとなく」感じていた
世の中への「違和感」に本書が答えを出してくれるようで
たいへん興味深い本です。

 

読んでみると楽しいですよ!

 

 

☆『暇と退屈の倫理学』の詳細とお求めはこちら↓

 

 

なお、本書に限らず、
コロナ禍では自宅で読書するのが
いちばんの対応法かも知れませんね。

 

 

ではまた!


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