批判者を恐れず、
文章を書いていく!
アル・ゴア元副大統領の
『不都合な真実2』を観に行きました。
アル・ゴアさんは
「地球温暖化防止」運動が評価され
ノーベル平和賞を受賞しています。
でも。
けっこう「批判」にさらされてるんです。
前作の『不都合な真実』も
統計データの誤りが指摘されたり、
「地球温暖化はCO2が原因とは言い切れない」
という批判が来たり。
それでもアル・ゴアさんは
めげません。
世界各国での
講演活動に取り組んでいます。
日本でも
かつて「世界一受けたい授業」に
出演して講座を行なっていましたし。
精力的に
「地球温暖化防止」に
取り組む姿が
すがすがしいです。
映画の中からも伝わってきました。
『不都合な真実2』の冒頭、
前作への「批判」コメントの紹介から
始まります。
先程述べたように、
「統計データの誤り」やら
「CO2が原因とは言い切れない」
という意見やら色々です。
(映画では出ていませんが、
アル・ゴアさんには「売名行為」という批判もありますね)
映画では
あえて「批判」の紹介から始めるのです。
この姿勢、
面白いな〜と思いました。
冒頭で「批判」の紹介から
始めると、
「自信」が伝わります。
「批判を紹介できるということは、
この批判を再批判できるんだな」
という「自信」が伝わるのです。
これ、文章も同じです。
説得力のある文章は
想定される「批判」を
紹介しているのです。
「私は絶対に正しい!」
と言い続けても、
「真実性」は高まりません。
それよりも
「私の意見に対し、
こんな批判をする人もいる。
でも、〜〜という理由から
この批判は間違いだ」
というほうが
「真実性」が高まります。
まさに「批判」の存在が
自分の説の「真実性」を高めてくれるのです。
学問の世界でも、同じです。
学問の世界では
どんな研究も「批判」が来ます。
というよりも、
「批判」が来ない研究には
価値が認められていません。
研究を行っていちばん切ないのは
誰からも「批判」が来ないことです。
「批判」がないのは
無視されているのと同じなのです。
こう考えると、
「批判」の存在のありがたさがよくわかります。
アル・ゴアさんの活動に意味があるのも、
実は「批判」が来るからです。
「批判」者がいなくなるということは
活動が誰からも注目されないことと同じです。
だからこそ。
あなたが何かを書き
「批判」が来ても落ち込まないで下さい。
「地球温暖化防止」という活動でさえ、
「批判」が来るんです。
何かを行うと、
「批判」は絶対来るんです。
「地球温暖化防止」という
みんなが「納得」しそうな行動でさえ
批判が来るんです。
「批判」が来るということは
ちゃんと見てくれている人がいる証拠です。
「批判」がある分、
あなたの「ファン」もいるのです。
どうか「批判」を恐れず、
あなたらしい活動を2018年
行なっていって下さい。
応援しています!
ではまた!
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