齋藤孝先生直伝!「あこがれにあこがれる」関係こそが教育の基本!

藤本研一

Digest!
齋藤孝先生は教育に不可欠なものとして「あこがれにあこがれる」関係性であると伝えています。

教える側が学問などに強烈な憧れを持ち、それに向かって努力をする。その姿勢が受け手にも伝わるのです。

いうならば教える側こそ勉強していく必要があるわけですね。
私も塾経営者の端くれとして日々勉強せねば…と思っています…!

よりよい教育において必要なもの!

より良い教育を実現するうえで
必要なもの。

誰かに何かを教える際に
不可欠なもの。

これは一体何でしょうか?

いろいろな考え方があると思いますが、
教育学者であり作家の齋藤孝さんのいう
「「あこがれ」にあこれる」
という関係性こそ必要不可欠であると私は考えます。

「あこがれ」にあこがれる!

齋藤孝さんは
教育的関係の本質を
「「あこがれ」にあこがれる」ことだと
いい切っています。

これは教員側が
学問などに対して抱いている「あこがれ」を
他の人があこがれる様子を描いています。


教える側が学問など
なにかに強烈な「あこがれ」を持つ。

その「あこがれ」に対し
日々努力している様子が
受け手にも伝わっていくのです。



人に何かを教えたり伝えたりするには
自分自身がなにかに強烈な
あこがれを持つことが必要不可欠です。

強烈なあこがれを持ち、
その対象に向かって
なんとか取り組もうともがいている姿こそ
相手の心を打つのです。

自分が憧れているからこそ、相手に何かを伝えられる!

これは大学院進学を目指して
日々学習していたり、

研究のために
書物と格闘していたりする様子と
同じです。


いうならば
自分が何かにあこがれて
勉強しているからこそ
相手に何かを伝えることができるのですね。

その意味で教員こそ
優秀な学習者として
学び続けることが求められます。

つまり、何かを教えるためには
まず教える側が
日々真剣に「あこがれ」をもって
学び続けることが求められる、ということですね。



…私も塾経営者や研修講師の端くれとして、
日々勉強していかねば…、と思っています。


(その勉強の場がこのブログでもあります)

今回のポイント


教育の基本は「あこがれにあこがれる」こと。
自分が学んでいるからこそ
周りに教えることができる!

教員になると学びが止まる?!

私も高校教員をしていたから分かりますが、
教員ってともすれば
何も学ばなくなってしまう事が多いです。


それはなぜかというと
日々「教える」ことばかりで
自分が学ぶことが少なくなるからです。

ただでさえ教員は日々多忙なので
放っておくと何も勉強しないまま
月日が経ってしまいます。

その状態を克服するためには
時間をこじあけてでも
何かを学ぶことが必要でしょう。



通勤中にせめてもの抵抗として
なにか本を読むことが
その第一歩となるはずです。

危機感から始めた読書会

…私の場合、高校教員になって
半年が経ったとき

「このままだと自分は何も勉強しなくなる…」
と危機感を持ちました。

そこからはじめたのが
仲間との毎月の読書会です。

2012年から始めた読書会、
12年目を迎え
現在127回を開催しています。

(次回5/25は128回目です)

 ☆詳細はこちら↓


この読書会のおかげで
高校教員中もなんとか学習を継続できましたし、
その継続が「脱教員」での独立につながりました。

いま、曲がりなりにも
大学院受験の塾を経営できているのも
2012年からの読書会などで
学習を続けられているからだと思います。

同時に、それが
北大大学院進学による
学問の継続にも繋がりました。

私が学問という対象への「あこがれ」を
持って日々取り組むことで
受講生の方に
「あこがれにあこがれる」関係をもってもらえるよう
努力していきたいと思います!

ではまた!


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