作文の書き方㉔「考える練習」は「書く」こととセットだ。

「考える練習」をするには「書く」練習をしよう。

 

早稲田大学教育学部・岡村遼司先生のお話

大学生の頃の話をしたいと思います。

私は教育学部で岡村遼司先生のゼミで勉強していました。
岡村先生には酒の旨さをはじめ様々なことを教えていただきました。

その岡村先生の著書はこちら
ちょうど私が学部生の頃に出版され、先生に本の内容について読んだ上で質問した記憶があります。

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思えば岡村先生の授業はなかなか変わったものでした。
担当するすべての授業に「レジュメ」を作っているにもかかわらず、配布をしない。

「必要な人はネットにあげてあるので、印刷して持ってきてください」

はじめにその指示だけが出て、あとは各人に任す形でした。

 

(岡村先生自体も変わった方でした。
 時計も携帯電話も持たない方。
 でも授業の開始・終了時間が正確でした)

担当された授業の数も、決して少ないわけではありませんでした。
「教育学概論」「道徳教育論」「人権教育への視座」などなど、多様なものすべてにレジュメを作っておられました。

岡村ゼミの学生は、他のゼミ生とはひと味違った人たちだと思われていました。
なかば「岡村信者」と言われていましたが、私は岡村先生の授業が好きでした。
いまの私の教育学の視点も、岡村先生から教わったものが土台にあります。

早稲田大学教育学部・岡村ゼミ名物「考える練習」

さて、この岡村先生が担当した学部生のゼミ。
他のゼミ同様、学生が毎週2人ずつ、ゼミ発表をしていました。

その際、他のゼミと違うのは「考える練習」というものがあったことです。

「考える練習」とは何か?
それは書評や映画評論など、なんでもいいのでA4サイズ1枚位で原稿を印刷して持ってくる、ということでした。

この原稿、持って行ったところで成績に入るわけではありません。
発表の機会があるわけではありません。

ですが、ただ持って行って、ゼミ生に渡し読んでもらうという形の原稿でした。

当時の私は「真面目」だったため、この「考える練習」を毎回用意し、持って行っていました。
「考える練習」を書くために本を読んだり、映画を観たりしました。

最初の「考える練習」で持っていった原稿はすごく読みにくいものだった記憶があります。
教育学部3年の4月の段階のものです。
毎週「考える練習」の原稿を書き、ただ持って行くのを大学4年の2月まで続けていました。

最後の方には原稿をまとめるのがすごく楽になっていました。
そして、一丁前に「教育」について書けたり、議論できたり、話せたりできるようになりました。

「考える練習」として原稿を書き続けたことが、「考える力」を高めるのにも役立ったのです。

岡村先生には授業やゼミの飲み会などで多くのことを学びましたが、
一番ためになったのは「自分で考える」習慣がついたことでしょう。

作文関連のブログを書くようになって、ふと「自分が作文について考える原点はいつだったのだろう」と思った時、気付いたのがこの岡村ゼミの「考える練習」でした。

「考える練習」=「書く練習」という図式を岡村先生は教えてくれたのです。
学部生の頃は、この図式には全く気付いていませんでした。
「考える」ことと「書く」ことはつながっていることに、恥ずかしながら大学を卒業してから気付いたのです。

岡村先生に学んだことを、いまだに私が実践していることが1つあります。
それは「考える練習」の原稿提出場所を「ブログ」に変更したことです。

そんなわけで、未だに私は岡村ゼミを卒業できていないのかも知れません。

☆岡村ゼミ時代の思い出について、断片的なものは「頼まれていない原稿を書く」(あ、これそのまま「作文のコツ」に流用できそうなタイトルだ)に書かれています。
ご参照ください。




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