作文の書き方121 文章を書くことが贅沢だった時代のことを思い起こす!

今回のポイント
好きなとき・好きなように文章が書ける。
この「有り難さ」を実感すると、
文章を書くのが少しラクになる!

 

『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』を読んでいます

 

いま受講生の方のリクエストで
『きけ わだつみのこえ』
という本を読んでいます。

 

 

この受講生の方とは
毎回本を読んできてもらい、
その内容を「要約」するという
トレーニングを行っています。

 

で、次回の本が
『きけ わだつみのこえ』
になったわけなのですね。

 

 

 

この『きけ わだつみのこえ』は
第二次世界大戦末期、

学徒出陣として
学業半ばで戦争に行くことになった
学生さんたちの手紙・日記をまとめた書物です。

 

ここに出ている方たちは皆
戦場で亡くなった方々。

 

 

もう読んでみると、
切なくなってきます。

「もっと大学で勉強したかった…」

「上官に死ぬほど殴られた…」

 

そういう話を読むにつれ、
つくづく

「やっぱり、平和ボケと言われても、
いまの時代のほうが
断然恵まれているな」

という思いになります。

 

文章を書くことが「贅沢」だった時代。

 

 

特に印象深かったのは
中村徳郎(なかむら・とくろう)さんの
文章です。

 

東京帝大(現・東大)理学部在学中に
学徒出陣。

 

1944年6月、
25歳のときに
フィリピン方面に向かい
「以後行方不明」となった方です。

 

明らかに亡くなっているはずなのに、
「行方不明」というのが
悲しい限りです。

 

 

この中村さん、
コツコツ日記を書いています。

 

亡くなる4ヶ月前の日記

 

亡くなる4ヶ月前に書かれた日記が
心を打ちました。

 

こんな内容です↓

 

「(昭和19年2月11日)
私はもちろん読むことがいかに大切かということも
知っている。

それにもまして
記すことが
大切であるような気がする。

書くことの本質が奈辺(なへん)に在るか
ということも重要な問題であると思う。

”書くことは宏大(こうだい)な博(ひろ)い人類愛に根ざす”
というような意味のことを誰か言った。
いみじくも言った。

私自身、よく考えて見ると、
何故に書き始めたという疑問に
一応逢着(ほうちゃく)せざるを得ない。
(…)

書きたいという欲求が喪(うしな)われたならば、
私にとって、
もはや私の生活は意義を失うものと
思っている。

幸いなことに未だそういうところまで
立ち至ってはいない。

しかし結局、
その希望を泡のごとく消え去らしめることは、
私にとって残酷なことに
思われてならないようになった。

書くということについて、
私が随分贅沢な境遇を
要求しているとことはいけないことであると
自分でも意識している。

私はこれからもこの障害を
打破せねばならないと思う」

(『きけ わだつみのこえ』
Kindle版No.5171-5203/10942)

 

軍隊生活の中では、
自分の「意見」や「考え」を
伝えることは一切できませんでした。

 

命令に対し絶対服従、
聞かない場合は殴られ蹴られるという「暴力」が
待っているからです。

 

 

そんな中において、
自分の「意見」「考え」を
日記に書くことで
自分の「心」を安定させることができる。

 

中村さんの日記は
そういうことを教えてくれているように
感じます。

 

 

軍隊生活の中で、
「自由時間」は
ほぼありません。

 

だからこそ、
自分で日記を書いたり、
誰かに手紙を書いたりするわずかな時間が
「贅沢」だったわけです。

 

 

好きなことを書けるという「有り難さ」。

 

…いま、私は
毎日ブログやメルマガを書いています。

 

時には
「書くことがない…」
という悩みにも襲われます。

 

そういうときこそ、

「書くことが贅沢だった時代がある」

という意識を常に持っておくべきだと
思うのです。

 

 

中村さんの日記を読んでいると、
好きに文章を書けることの
「有り難さ」を改めて実感するのです。

 

今回のポイント

 

 

今回のポイントです。

 

 

好きなとき・好きなように文章が書ける。
この「有り難さ」を実感すると、
文章を書くのが少しラクになる!  

 

『きけわだつみのこえ』には賛否両論ありますが…

 

 

『きけ わだつみのこえ』には
色々賛否両論があります。

 

太平洋戦争をめぐっての評価も、
ホントいろんな意見があることを
私も実感しています。

 

それでも、
この『きけ わだつみのこえ』は
ぜひとも読んだほうがいい本だ、

と私は思うのですね。

 

 

読むと
好きな時・好きなように文章を書けるという
「当たり前」のことが、

いかに「有り難い」ものであるか
よく分かるようになるからです。

 

 

「もっと勉強したかった…」という無念さを知るべき理由

 

本来なら、
今回紹介した中村さんは
もっと勉強したかったでしょうし、

軍隊生活ではなく
たとえば大学の研究室で
もっと理学の研究に励みたかったことと思います。

そして、歴史に残る論文・
歴史に残る研究を残したかったことと思います。

 

 

 

…にもかかわらず、
「学徒出陣」で入軍し、

上官に殴られ、
自分の意見・考えを表明する機会もないまま、
いつ死ぬかわからない日々を過ごすことになったわけです。

 

(そして1944年、
「行方不明」となるのです)

 

「もっと勉強したかった…」

「もっと本を読みたかった…」

「もっと文を書きたかった…」

だからこそ、中村さんの無念さが、
行間から伝わってくるのです。

 

 

こんな無念さを持ったまま
亡くなった方々のことを思うと、

少しくらい面倒でも
本を読んだり、
勉強したり、
文章を書いたりしないといけないな、

と私自身思ってくるのです。

 

 

文章を書くことが
「贅沢」だった時代。

 

そのことを忘れずに
今後も文章指導の仕事、
続けていきたいなあ、と思っています。

 

ではまた!


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