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極論=オリジナルな視点ではない!
大学受験や大学院受験で出題されている小論文試験。
小論文試験において「自分独自の視点」を出すのってけっこう難しいです。
そういうとき時折、
「小論文で注目を集めたいから、思い切って極論を示したほうがいいかも…」
と考える方がいます。

例えば日本の今後の政策として「外国人排斥」や「消費税全廃」などを小論文内で書くケースがあります。
あるいはさらに極論として「日本の核武装化」「国会の廃止」「AIによる裁判の自動化」などを主張するケースもないわけではありません。
極論を書くことで自分のオリジナリティを示したい。
そういう思いの現れかもしれませんが、こういう考えで小論文試験に臨むのは大変危険です。
たしかに、極論は目を引きやすく、強い印象を残すことがあります。
ですが、大学院進学を目指す者にとって、小論文で極論・暴論を用いることは大きなリスクとなります。
(思想信条の自由が日本国憲法で保証されていますので、各自が内面でどう考えていてもそれは自由です。
ですが小論文入試に書くのはリスクが大きいことを意識しておく必要があるでしょう)
大学院の小論文試験では、「知性」「現実性」「対話力」が評価されます。
極論に走ることで、そのどれもが損なわれてしまう恐れがあるのです。
今回は、小論文においてなぜ極論・暴論を避けるべきなのか、その理由を解説します。
極論は議論をラクしている。
極論というのは切り口がスパッとしています。

物事を単純明快にするという意味で非常に耳目を集めます。
飲みの席で話すと、その単純明快さから周囲の評価を得ることも時々あるかも知れません。
ですが、極論だけでは物事は進んでいきません。
現代社会は様々な要素が複雑に絡み合っているため、極論のような単純明快な議論ですべてが解決できるわけではないのです。
例えば「消費税全廃」という主張をする場合も、実現できたら私はとても嬉しいですが、「ではその分の財源をどうするか」と考えだすととたんに話が行き詰まります。
「外国人排斥」という主張をする場合も、「では基本的人権の尊重という憲法での保証がある中でどうやって実現するのか」「外国人を排斥した結果 不足する労働者をどうやって補うのか」を考え出すと途端に議論が行き詰まります。
極論をいうのって、こういう細かいところを考えなくてもいいので実はけっこう「ラクをしている」ことでもあるのです。
飲みの席などで気軽にいうのは良いかも知れませんが、こと小論文試験においてこういう議論をするのは答案の点数を下げることになってしまうのです。

そもそも論にも注意を。
小論文を書く時、極論までいかなくても「ゼロサム思考」に陥ってしまうことが時折あります。
ゼロサム思考とは「0か100か」で明確に立て分ける態度のこと。
たとえば、小論文の問題で「大学への進学をしやすくなるよう奨学金制度をさらに拡充すべきか論じなさい」という問題が出たとします。
この時、考えるべきは「奨学金制度の拡充をすべきかどうか」です。
ですが時折、こういう議論を一切せずに「そもそも高等教育は無償化すべきだ」と主張する人がいます。
これは一見、理念に基づいた立派な主張に見えるかもしれません。
しかし、このような「そもそも論」は、論点のすり替えとなりかねません。
「そもそも高等教育は無償化すべきだから奨学金制度それ自体廃止をすべき」と「そもそも論」をいうのって、「オリジナルな視点」ではなく「極論」「暴論」と捉えかねない可能性があるのです。
だからこそ、小論文内で「そもそも論」をいう場合「極論」に陥っていないか検討が必要なのです。

「そもそも論」では政策が成立しないことも。
…残念ながらこれは小論文試験だけでなく国会などの議論においても起きています。
「奨学金制度を拡充すべきか」という議論なのに「高等教育はそもそも無償であるべきだから奨学金制度自体がナンセンスだ」という意見を言うケースが有るのです。
もちろん、私は高等教育の無償化に賛成ではあります。
ですが、そういう意見を言ったところで急に明日から「高等教育を無償化します」と決定できるわけではありません。
そのため「そもそも論」を使うことは、現実の制度改善に寄与しない主張として評価が下がる可能性があるのです。
小論文では、目の前の課題に対してどう現実的に対応していくかが問われます。
「そもそも論」の形で「制度の土台をすべて否定する」という形で主張を展開すると、対話の土台を壊してしまいかねないのです。

極論がもたらす「対話の破綻」
ちなみに、ここで言っていることは学生時代の私自身の「反省」の現れでもあります。
学生時代の私、けっこう悲観主義者でして、「高度に発達した資本主義社会においては、個人が何をしても社会は何一つ変わらず、現状の再生産だけが起こるだけだ」と考えていました。
「どうせ何をしても無駄」という考えから、「いまの社会なんて壊れてしまえば良いんだ」と投げやりな態度で考えていました。
こういう時、私がハマっていたのが「極論」や「暴論」、さらには「そもそも論による議論のはぐらかし」でした。
…当時、関わる人に不快な思いをさせていたかも知れないと思うと冷や汗が出ます…。
(それにしても、こういう悲観主義的な発想、いま見ると相当イタいですね…)

今になって思うのは、こういう態度は「議論の拒否」であり、建設的な対話を阻む態度だったと思います。
極論は、議論の可能性を閉ざします。
「すべてダメ」「抜本的に壊すべき」といった強い主張は、一見鋭く見えますが、他者との共通理解や現実的解決策にたどり着くためには役立ちません。
だからこそ、極論・暴論に逃げることは小論文において避けるべき態度なのです。
大人の議論ができるかが問われている
大学院とは、社会に対して具体的な提案や考察ができる「知的な大人」が集う場です。

暴論や極論ではなく、「複雑な現実をどう読み解くか」「どう改善するか」という視点で議論を深めていく姿勢が求められます。
マックス・ヴェーバーは、「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら堅い板に力をこめて、ゆっくり穴を開けていくような仕事です」と述べています。
政治のように社会を変えるプロセスというのは、時間をかけて一歩ずつ進めていく営みです。
その意味で、極論によって一足飛びに物事を変えようとする発想は、現実社会では通用しません。
むしろ信頼を失う要因になってしまうのです。
まして大学院では理性的で「大人」な議論ができる人材育成が求められているため、極論・暴論に逃げる答案は低評価に陥りやすいのです。
まとめ。暴論・極論を避け、論理と現実を武器にしよう!
小論文試験で大切なのは、「相手を納得させることができる論理展開」と「現実性のある提案」をする力。
暴論や極論で目立とうとするのではなく、冷静な思考と多面的な視点で、建設的な議論を展開していくことが、合格への近道となります。
あなたの小論文が評価されるためには、耳障りの良さよりも「現実をより良くする意志と知性」を伝えることが鍵です。
極論に逃げず、現実世界の複雑さの中で自らの思考を深めていく姿勢を大事にしましょう!
今回の記事があなたの小論文試験対策のお役に立てれば幸いです!

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小論文試験で極論・暴論に走るのは危険です。一見するとオリジナルな視点であるように見えても、現実性や対話力で問題があると思われ、評価を下げる原因になります。だからこそ、冷静で建設的な議論を小論文で描く意識を持ちましょう!