山岡荘八版『坂本龍馬』にハマる
こんにちは、
作文・論文アドバイザーの
藤本研一です。
年末年始10冊読了計画、
無事達成です!
(昨日もいいましたね)
そのうちの1冊、
正月に
実家で読んだのが
山岡荘八の『坂本龍馬』。
文庫で3冊。
実家にたまたま1巻だけありましたので
それを読んでいました。
坂本龍馬の本というと
『竜馬がゆく』が有名です。
でも、山岡荘八版もなかなかおもしろいです。
すでに『竜馬がゆく』を読んだ方にとっては
「違う竜馬像」が描かれていて、
読んでみると面白いいかもしれませんね!
「それをするのは何のため」という志
坂本龍馬の本を読むと思うのは
「志(こころざし)」の大事さです。
剣術の修行で江戸に出たものの、
どうも腰を入れることができず、
地元・土佐に戻ってきた坂本龍馬。
地元の人々と話す中で、
「自分は何をしたいのか」
「自分は何のために生きるのか」
考える必要性に出会うのです。
その際の「志」こそが
坂本龍馬の人生を変えることになりました。
「志」で人生は開ける
単に剣の道で
免許皆伝をもらうのが目的でなく、
もっと国のために大きなことをしたい。
別に剣術の道場を自分が開きたいのではなく、
もっと世の中に役立つことを修行したい。
そう思った瞬間から
坂本龍馬の人生は開いていきました。
この「何のために生きるか」という
「志」の大事さ。
起業する時に
出会う人みんなから言われたことです。
「藤本さんはそれやって、何をしたいの?」
はじめのうち、
返すことがみつけられませんでした。
自問自答する中で、
「書く力を通して、
その人が自分の未来を開いていくのを
手伝っていきたい」
と考えられるようになりました。
この「何のため」という部分の大事さを
改めて学ぶことができた本でした。
歴史小説に学ぼう
第1巻の坂本龍馬は
基本「何も知らない」人です。
だから周りの話を素直に聞いて
自分なりに考え、
実践しようとする様子が感じられます。
この自然児には、
無智な代りに迎合、妥協の精神は
ないようだった。
とにかく世間の出来事を、
ゆっくり一度、
自分の中を通さなければ納得しない……
というのは、その精根に充分
大胆さを恵まれているということでもあったが……(124頁)
いまの自分が読むと
ハッとする部分も多いです。
岡上新輔(竜馬の義理の兄)は、
こんどは美味そうに鯛の生きづくりを口の中に抛りこんで、
「あせって間違うたり、人の言うことを鵜呑みにして、
操り人形のように踊らせられたりしてはならなん。
が、修行とは何が正しく、何が自分の仕事か、
それを見つけ出すまでのあせりや苦しさに
耐えて行く辛抱のことじゃ。
人から教えられたのではあかん。
自分で自分の澄んだ眼で見つけ出す……
その苦労をいとうては修行にならん」(198頁)
岡上のセリフにいいものが多いです。
「そうじゃ。師を取る時も、
決して二流の師をとってはならぬ。
第一級の師が見当たらなかったら、その時には、
天地自然を師とするのじゃ。
ここには文字に書けないさまざまな事実がある。
つまり、人間の造った文字ではない、
本当に生きて動いている大文字、
ほんとうの学問だな、
この活文字を無垢の魂につながる
濁りない眼で読んでゆく……と、
これが第一級の修行じゃな」(201頁)
起業してから
経営者の先輩の話を聞くと、
けっこう「歴史小説」の話が出てきます。
「歴史」は好きなのですが、
「歴史小説」はこれまで敬遠していた
ジャンル。
なぜ敬遠していたかというと、
いかにもジジ臭さを感じるからです。
でも、
山岡荘八版『坂本龍馬』を読んで、
「なかなか役立つな」
と思ったのが事実。
役立つし、
とにかくストーリーが面白いのだから
もっと読んでいこうと思います。
今年はこの
「歴史小説」、
積極的に読んでいきます。
日本史で歴史を知っている分、
歴史小説は「結果」が分かります。
「結果」が分かっている分、
純粋に「過程」「プロセス」を
見ていくことができます。
「ああ、このことをするために
こんな思いでやっていたんだ!」「この経験がいま役立ったんだ!」
今年は意識して
「歴史小説」、
読んでいきたいです。
どうぞよろしくお願い致します。
ではまた!
〜本年もどうぞよろしくお願い致します〜
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