札幌にいるなら円山に登ろう!
先日、
妻といっしょに
円山(まるやま @札幌市中央区)
に登ってきました。
円山公園・円山動物園から
すぐ行ける山。
高さも225m。
山頂まで1000m歩くだけ。
軽い気持ちで行ったのですが・・・
意外と急勾配。
ちょっとへばりながら
登っていきました。
30分も登ると、
札幌の街なかの風景。
なんと
虹も出ていました!
札幌で虹を見るのは
いつぶりだろう。
すごく得した気分がしました。
山頂にも到着。
ここからも虹が見れました!
地下鉄の円山公園駅で降りて、
気軽に登れる山。
服装も
「ふつう」
の格好の人が多いです。
手ぶらで登る人、
ヒールで登る人、
様々でした。
登山にはもともと宗教的意味がある!
さて、
この円山の登山道では
八十八ヶ所の観音像
が祀られています。
円山登山をする人には
この観音像へのお参りを
目的とする人も多いようです。
実は
あまり知られていないようですが、
趣味としての
「山登り」って、
明治以降に
はじめて成立したんです。
それまで
山にのぼるのには
「宗教的意味」
がありました。
修行だったり、
お参りだったり、
山に登るのは
「神さま」
に会いに行く行為だったのです。
そうでもなければ
わざわざ
つらい思いをして
山を登る理由にはならないのです。
かつてから
山登りには
宗教的意味
がありました。
登山をすると
イヤでも
自分を考えなおすこと
を昔の人は知っていたはずです。
だからこそ、
山頂に神社を作ったり、
修行の一環で山登りをしたりと、
登山=宗教
という図式を用意していったのです。
宗教というのは
大げさでも、
「自分を見つめ直す」という
解釈にすれば
今でも当てはまる話だと思います。
現代において、
山にのぼるのは
レジャー(楽しみ)
になりました。
「何故山を登るのか。
そこに山があるからだ」
有名なジョージ・マロリーの
言葉です。
この発想、
明治以前は誰もしていませんでした。
山登りは、
完全に自分を見つめ直す
行為だったのです。
山に登ると、イヤでも自分を見つめ直せる。
私は
山登りの
「自分を見つめ直す」
側面、
もっと大事にすべきだと思います。
単に
「山があるから登る」だと
見えないことがあるからだと思うからです。
私もきょう円山に登り、
ちょっと自分自身を
振り返れたように思うからです。
一歩ずつ山を登ると、
その分考えが深まるように思います。
夏目漱石も
「道草」に書いてますね。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通とおせば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
山を登ると、
人間何故か
いろんな事を考えます。
アイデアであったり
自分の生き方であったり
何かしら頭が回転するのです。
ちょっと最近しんどい。
ちょっと自分を見つめたい。
そんなとき、
自宅や会社で
うだうだしているくらいなら、
気軽に山に登ってみると
いい発想が生まれるはずです。
そこから道が拓けることも
あるはずです。
降りたあとは六花亭へ!
ちなみに。
円山は
降りた後、
北海道神宮内の
「六花亭」に寄るともっと楽しいです。
判官(はんがん)さま、
香ばしくて美味しかったです。
ではまた!
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