広辞苑・新明解国語辞典・広辞林・・・。
いろんな国語辞典たち。
国語の時間に使ったなあ、という人はいませんか?
「この言葉って、どんな意味だっけ?」というとき、国語辞典は役立ちます。
ただ、現在は便利なスマホを使いネットで調べる、という人も多くなっています。
「あ、あの漢字ってどう書くんだっけ?」
「【情けは人のためならず】って、どの意味が正しいんだったかな?」
・・・迷える現代人を助けてくれるツールになっています。
作文のコツ④「引用」から書いてみようにも書きましたが、作文のネタに詰まった時は辞典の内容を引用してみると役立ちます。
引用を書くと字数も埋まります。
その上、辞書を引くので信憑性もあがります。
実は辞書ネタはプロも使っています。
特に、本当にネタに詰まった作家は「広辞苑」ネタを使います。
例)広辞苑によると「教育」の意味は・・・
辞書に書かれた内容はとりあえず「正しい」とされた内容です。
自分の書こうと思うことに正当性をもたせられます。
ですが、辞書もページの関係で言葉足らずです。
必要最小限の説明しかしてくれません。
ということは辞書の内容は「不十分」ということです。
そのため、「辞典の内容を批判する」のはすごく簡単です。
「辞書の内容を批判する」ことだけで作文は書けてしまいます。
「正しい」とされたことを否定するので、書き手が「すごい」ように読み手に伝えることもできるのです。
例を挙げましょう。
「大辞泉」によると、「教育」の定義は「他人に対して意図的な働きかけを行うことによって,その人を望ましい方向へ変化させること」とある。この定義について私は以前より疑問を感じていた。それは権力性を感じるからである。価値観の多様性が訴えられる昨今、「その人を望ましい方向へ変化させる」ことは危険でもある。何をもって「望ましい方向」といえるのか、その根拠自体が曖昧になりつつあるからだ。
また「意図的な働きかけ」という点にも疑問がある。この場合、子ども自身が大人の振る舞いから自然に学び取っている部分を否定することになる。親の言葉遣いを子どもが自然に学ぶのはごくふつうのことである。決して意図的に言葉遣いを教えているわけではない。
そのためこの「教育」の定義は子どもの主体性を否定し、権力性あふれる定義となっていると言わざるを得ない。
この文章、たんに辞書の内容にチャチャをいれているだけです。
そうなのですが、なんとなく「教育」について一家言ある人のような文章になっています。
辞書を引用し、批判まですると文章が書ける。
ぜひやってみてください。
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