目次 さいきん、大学入試や大学院入試の いつも以上に 先日も、慶應義塾大学文学部の過去問やら 受験生と一緒に進めていました。 「評論」系の文章って 要するに【硬い文章】ということですね 笑 なんだか難しい言葉が続き、 で、専門用語やら (フーコーとか、レヴィナスとか、 受験では、こういう難しい文章を読ませた後、 けっこうニガテとしている人も …ただ、この手の文章って、 なぜかというと、 これからの「社会」や ヒントとなる内容も 私が大学入試や大学院入試の こういう【硬い文章】の解説です。 「これって、要はこういうこと!」 「いまのイギリスのEU離脱などの話も 受験生の方に理解しやすいよう、 そのなかで、受講生の方から、 「フジモトさんのおかげで、 と言ってくださる方も これが、ありがたいことですよね〜。 実は、この【硬い文章を解説する】ということ、 自分自身が今後の「仕事の仕方」を考える時、 めちゃくちゃいいヒントを たとえば、たまに入試にも出題されるのは 「贈与論」というのは 私は情報社会の本質って そうではなく、 この「贈与論」とは 現在の商品経済とは違う形の ということを主張している発想です。 現在の貨幣経済は つまり、 あるいは、 これが崩れるのが 何かというと、 この場合、 ポイントは 「あ、これは贈与されたんだな」 と思ったときにだけ、 反対給付というのは たとえば、お中元やお歳暮って それは「贈与」を受けたからこそ、 「気分が悪い」 からです。 あるいは、 その人に心理的に「従属」してしまうところが 親や妻に頭が上がらないという人は (ヒモ時代の私も …さあ、ここまで書いた内容と 実はネット上に氾濫する情報って この記事もそうですし、 贈与の本質は、 だからメルマガもブログも 「贈る」側が一方的に しかも「無料で」出しているわけです。 これは何を意味するかと言うと、 受け手は「贈与を受けた」と認識する、 …めんどくさい言い方をしていますが 贈り手は なんのためにやっているかというと、 つまり、こちらが一方的に出している ここからがポイントです。 贈与を受け取ったと認識した側は つまり、 だからこそ、 あるいは、 場合によってはふだんメルマガを読んだり 「反対給付」として いずれも、 そのうちの何人かから でも、これははじめから 有料で情報を出す場合は つまり、先程のように でも、そう考えると、 考えるべきは 無理やりまとめると、 すると、 それが「仕事になる」ということなのですね。 いずれにしても 「贈与する」 のが情報社会においての 今回のポイントです。 たまになんですけど、 「私が知っていること、 という方がいらっしゃいます。 この発想は べつに間違ってはないんですけど、 まわりに「贈与」するほど そうすることで だからこそ、 それを大事にしたいと思っています。 …と、ここまで書いた内容も、 じゃっかん硬い書き方になってしまいましたが、 「入試小論文で出題される内容は、 「評論文を読み解き、 と思っていただければ幸いです。 (さいきん、大学入試の小論文 ではまた!
情報発信は「贈与」である!
自分が知っていること・
詳しいことをどんどん「贈与」していく! 入試の「評論文」は、硬くて難しいけれど…。
小論文対策の授業が立て込んでいる関係上、
「評論」系の文章を読んでいます。
名古屋大学法学部の過去問やら、
北海学園大学の過去問やらを
なにかといいますと、
ぱっと見ると何を言っているかわかりにくい。
聞いたことのないカタカナ人名が
羅列されるというのがこの手の文章です。
いろいろです)
「自分の考えを述べよ」
という小論文の出題形式があります。
多いですよね。入試に出る評論文は、面白いし役に立つ!
慣れると「面白い」んです。
これからの「日本」、
これからの「生き方」を考える上で
多いからです。
小論文対策でお話しているのは、
この内容から言えるよね!」
なるべく具体的な事例をあげつつ
説明することも多いです。
なんだか勉強が楽しくなりました!」
多くいらっしゃいます。
受講生の方だけでなく
私自身にも役立っています。
入試で出るような【硬い文章】を元に
現代社会を読み解くと
得られることがあるんですね。「贈与論」をもとに、情報社会の本質を考える。
【贈与経済】の話です。
マルセル・モースや
ボードリヤールなど思想家によって
形作られた発想です。
「商品経済」論では読み解けない、
と思っています。
「贈与論」で考えるべきだ、
と思うのですね。
何かというと、
「経済」のあり方がありうる、
「等価交換」が原則です。
たとえば130円と
缶コーヒーは「等価値」という
発想です。
1ヶ月間の労働と、
1ヶ月の賃金「30万円」とが「等価値」だ、
という発想です。
「贈与経済」の発想です。
誰かにモノなりサービスなりを
「贈与」する、という発想です。
相手が何らかの貨幣を払ったり、
何らかの対価を支払ったりするわけでは
ないのですね。
受け取る側が
「反対給付」(はんたいきゅうふ)の義務が生じる、
というところです。
贈与受け取った側による
「お返し」のことです。
もらったら「お返し」をしたり、
「お礼状」を送ったりしているはずです。
何かを返さないと
「なんか悪い気がする」
返しきれないほどの
贈与を受けてしまった場合、
あるのです。
「贈与」を大量に受けて
返しきれないから、
ということでもあります。
全く同じです…)ネットに溢れる情報はすべて「贈与」である。
情報社会はどうつながるのでしょうか?
ぜんぶ「贈与」なんですね。
他のメルマガも
あるいはYouTube動画も
全部「贈与」なんです。
「贈る」側が一方的に行うこと、
にあります。
YouTubeもSNSも、
情報を出しています。
「無料で」出すけれども、
それに価値を認めたとき、
ということです。
今少しご辛抱を。
「無料で」情報を
「贈与」しているわけです。
情報を「贈与」することで、
出した情報のいくつかは
誰かに「受け取られる」からですね。
「贈与」であっても、
「受け手」がどこかの時点で
成立するということになります。ここからがポイント!
「反対給付」の義務が発生するのです。
「なにかお返ししないといけない」
という気持ちになるのですね。
たとえばSHOWROOMなどでのライブでは
「投げ銭」をして
反対給付をします。
YouTubeに「チャンネル登録」したり、
Goodボタンを押したりして
「応援」の形で反対給付を行うわけです。
YouTubeで動画を出したりしている人に
直接仕事の依頼をすることもあるのです。
「不特定多数」に
「贈与」をした結果、
「反対給付」がある、ということを
意味します。
「有料で情報を出します」
ということとは全く違います。
「商品経済」と同じになります。
130円と引き換えに缶コーヒーを手に入れるような
経済なのですね。
情報を無料でお伝えするという考えは
成立しなくなります。情報を無料で「贈与」すると、「反対給付」が戻ってくる!
情報を大量に「贈与する」と、
一定数が「反対給付」で戻ってくる、
という発想を持つことです。
まずは自分が知っていること・
伝えたいこと・
相手の役に立てることを
「贈与する」ことがスタートだ、ということです。
そのうちの何人かが「反対給付」をしてくれます。
自分ひとりで独占するのでなく
そもそものスタートなのです。今回のポイント
自分が知っていること・
詳しいことをどんどん「贈与」していく! 情報は無料で公開してナンボ!
無料でブログなどでお伝えするのって
やっぱりもったいないと思うんです」
どちらかと言えば
「商品経済」での発想です。
情報発信の本質って
「商品経済」ではなく
「贈与経済」なんです。
無料で情報やノウハウなどを
お伝えしていく。
読んだ方の何人かが
お客さまとなっていただけるのです。(=反対給付)
自分の知っていることを
独占的に持っているだけでなく、
積極的に贈与していく!入試に出る評論文はめちゃくちゃ役に立つ!
まさに入試で出題される
「贈与論」の発想を、
情報発信に活かしてみた事例となります。
自分の仕事を考えるのにも役立つ」
いまの社会を考えると面白い」
対策ばかりしていたので、
文章が固くなっていてすみません・・・)
入試の「評論文」を読み解くことは役に立つ!〜情報発信の本質は贈与である〜
今回のポイント
情報発信は「贈与」である!
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