「気休め」で人生なんて良くならない。
「気休め」にかけている時間を
ほんの少しでいいから「本質的なこと」に傾ける!
目次
休みの日、どう過ごされましたか?
☆本日の内容は
動画でもお伝えしています。
動画にしかない内容もありますので
お気軽に聞き流してみてください。
この前の休日、
あなたはどんな感じで
過ごしましたか?
家族で遊びに行ったり、
温泉に行ったり、
映画に行ったりと
楽しんでいた方も多いかもしれません。
あるいはパチンコや競馬、
「なんとなく」ネットサーフィンをしたり、
Youtubeで「おもしろ動画」を検索して
観るだけだったりという方も
いらっしゃるかもしれません。
それは「気晴らし」ですか?それとも「本質的なこと」ですか?
休日をどう過ごすのも
その方の自由です。
自由なんですけど、
私自身 気にかけているのは
「気晴らし」か「本質的なこと」かという
区別です。
これをなるべく考えるようにしています。
高校教員時代のニガい経験から言えること。
これには学校教員時代の
ニガい経験があるのです。
高校教員として私立高校に
勤務していた頃、
平日は朝から晩までバタバタでした。
朝はボーッとした頭のまま、
朝食を食べる気力がないので
そのまま出勤。
コンビニで買ったレッドブルを飲みながら
地下鉄駅に向かっていました。
(良い子は真似しないでね!)
仕事が始まると、
昼休みにも生徒対応やら
打ち合わせやらがあって
お昼を食べる暇はありません。
放課後17:30になってようやく
お昼用に買ったオニギリ2つを食べる。
食べつつ、書類作成やら
資料印刷やらをやって
学校を出るのは22:00。
帰りに
駅前のラーメン屋で
ニンニクチャーハンを食べるのが
日常でした。
(その時間帯、
他にやっている店もないのですね)
で、家に帰ってきたら
出来ることとしたら
「クリアアサヒ」を飲みつつ
Youtube動画をただ観ることくらい。
仕事のツラさ・
職場のモヤモヤが薄れるまで
毎日1時間くらいは
観ていた気がします。
この反動で、
たまにある「何も予定のない休日」は
基本的に昼まで寝ていました。
「ああ、明日はまた仕事だな…
ヤダな…」
そう思うと憂鬱で、
気晴らしで映画に行ったり、
ネットカフェに行ってただマンガを読んだりして
時間を過ごしていました。
あるいは
単に「寂しい」「虚しい」から
人と会ったり、
バス旅に行ったりしていただけでした。
今思うと、
この時期、「病んで」いました。
ヤル気もしないので
ただ「気休め」「気晴らし」をして
自分の時間を使っていただけだったのです。
私、自分から辞表を出し、
「起業する!」と決断しなければ、
いまでもこのままだった可能性があります。
もし、この生活が
いまも続いていたら…。
そう思うと、
身体が震えてきます。
ちなみに先ほどは
あえて悲観的に学校教員時代の日常を
描いてみました。
実際は授業内での
生徒のいい反応や
仕事がうまくいった際の喜びなど、
うれしいこと・楽しいことも多くありました。
でも、学校の「外」だと
「病んでいた」感じの日常だったのですね。
自分の時間、「気休め」ばかりになってませんか?
毎日やることが多いと、
自分の時間は単なる「気休め」で
終わることが増えます。
なぜかと言うと、
そうでもしないと
仕事する気になれないのですね。
ボーッとYoutubeを観たり、
昼からビールを飲んだりするのも
「気休め」をすることで
なんとか翌日の気力を引き出すためなのです。
本当に楽しんで
「気休め」をしていることって
稀です。
本当はもっと遠くに旅行に行きたい。
本当はもっとやりがいのある仕事をしたい。
本当はもっと待遇をよくして欲しい。
でも、そうならないからこそ
「気休め」に逃げる。
以前の私は
そうしていたのです。
「気休め」って
しょせんは「気休め」に過ぎません。
趣味が高じて仕事になる、という人はいても、
「気休め」が高じて仕事になる、という人はいません。
自分が本当にやりたい思いをもって
真剣に取り組んでいるものを「趣味」とするなら、
「気休め」ってあくまで
本当にやりたいことの「代替」にしか過ぎないのですね。
「気休め」ばかりだと人生はダメになる!
だからこそ、
「気休め」にしかならない時間の過ごし方って、
あまり生産的ではないのです。
「気休め」で人生なんて
よくなりません。
「気休め」ではなく、
より「本質的なこと」にどれだけ時間を使えるか?
それで人生は良くなるはずなのです。
今回のポイント
今回のポイントです。
「気休め」で人生なんて良くならない。
「気休め」にかけている時間を
ほんの少しでいいから「本質的なこと」に傾ける!
・・・・・・・・・・・・・・・・
「フジモトから、謝りたいことがあります」
あらかじめ謝っておきたいことがあります。
こういうことを書くと、
私がさぞ「気休め」ではなく「本質的なこと」しか
やっていない「高尚な人間」のように
見えるかもしれません。
…でも、当たり前ですが
そんなことないんですよ 笑
現に、この記事同様の動画を撮ったのですが
あまりにボーッと撮ってしまったためか
文字を「書き間違え」てしまっているわけですから・・ 笑
動画を観てもらったらおわかりいただけますが、
本当は「気休め」なのに、
「気安め」って書いていました。
ホント、PCやスマホの変換機能になれすぎていると
思わぬ書き間違えをしてしまうものですね!
「気休め」は第四領域、「本質的なこと」は第二領域
さて。
「気休め」というものは
「緊急でも重要でもないこと」です。
(ものの本では「第四領域」と言われています)
今日パチンコに行かなくても
別に誰も困らないからです。
一方、「本質的なこと」というのは
「緊急ではないが重要なこと」です。
(ものの本では「第二領域」と言われています)
急ぎではないんだけれども
将来・この先の役に立つことだからです。
パチンコ・競馬・ゲーム・
時間つぶしのネットサーフィン・
ただグダるだけの人間関係って、
「気休め」に過ぎないわけです。
一方、
将来につながる読書や資格勉強、
セミナー・旅行や
家族と過ごす時間というのは
「本質的なこと」にあたります。
こういう「本質的なこと」に時間を過ごすことって
人生を充実させるのに役立ちます。
「気休め」って所詮
【今日・明日】をよく過ごすのには役立つだけです。
これらばかりに時間を使っていても
人生はちっとも良くならないのですね。
あくまで「気休め」なのです。
大事なのは「気休め」ではなく、
「本質的なもの」にどれだけ時間を使えるかでしょう。
勉強したり、
本を読んだり、
セミナーに行ったりしたら
人生につながる「本質的なもの」に出会うことができます。
また、家族・友人など
大事にしたい人と過ごすことで
「本質的な経験」を築くこともできるのです。
自由時間の過ごし方で人生の質は決まる!
あなた自身は自由時間、
どんなふうに時間を使っていますか?
時間の使い方は
人生の使い方でもあります。
「気休め」が多いと
気休めの人生になります。
「本質的なこと」が多いと
本質的なことに取り組めた
有意義な人生になります。
選ぶのはけっきょく
自分自身なのですね。
私も「気休め」な時間よりも
「本質的なこと」に時間を使えるよう、
努力していきたいと思います!
ではまた!
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