「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよう」は嘘である。
困っている人には手っ取り早く
魚を提供するほうがいいに決まっている!
目次
「魚を与えるよりも魚の釣り方を教えよう」
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
こんな格言、
お聞きになったことはありますでしょうか?
この格言、
国際援助の際に
よく聞く言葉です。
発展途上国へ支援をする場合、
「食料」や「お金」という直接的なものだけを
提供していると、
その国はいつまで経っても
自立できなくなってしまう、
という文脈で使われます。
発展途上国に対し
援助物資ばかりを一方的に提供していると、
それを頼りにするあまり、
いつまでも国内産業が育たない。
だからこそ、
「魚の釣り方」、つまり
産業の興し方・
工業化の進め方を教えていくべきだ。
…だいたいこのような意味が
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
という言葉に込められています。
「魚を与えるよりも魚の釣り方を教えよう」の嘘
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
これ、すごく大事な発想です。
ですが。
あくまでのこの格言は
「国際援助」の際に出てくる言葉です。
一般的な人間関係に
すべて当てはまるわけではないのです。
ところが。
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
こういう言い方を
一般的な人間関係にも当てはまる人が多いですよね。
「人に頼るのではなく、
自分でできるようになることが大事だ」
こういう言い方を
しょっちゅうしている人も多いです。
かくいう私も、その一人でした 笑
結論から言います。
「魚よりも魚の釣り方を教えよう」
と言われますが、
魚が欲しい人には
魚をあげてしまったほうが感謝されるのです。
釣り方を教えるのは「教えて欲しい」
と言われたときだけでいいのです。
フジモトの失敗談
これには苦い思い出があります。
文章の塾をやっている関係上
「チラシのアドバイスをして欲しい」
という依頼をいただくことがあります。
現在使っていらっしゃるチラシに対し、
「ここはこうした方がいいですよ!」と
アドバイスをするのです。
その時、だいたいこういう依頼をいただきました。
「役立つアドバイス、ありがとうございます。
…せっかくなら、フジモトさんのところで、
チラシを作ってもらえませんか?」
こんなご依頼、
けっこう聞いていました。
でも、その度に私は
「魚」の話を思い出していたんです。
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
これを思い出していました。
そのため、
ご依頼を断っていたのですね。
「私、チラシのアドバイスはできますが
チラシづくりはやっていないんですよ」
そういって、
せっかくのご依頼をすべて断っていました。
我ながら申し訳なかったな、と思います。
これ、私のデザイン力が不足しているのが
原因ではあるのですが、
「友人のデザイナーと一緒にチラシを作る」
ということもやることができたはずなのです。
にもかかわらず、
無碍に断っていました。
(いまはお引き受けしています)
断る理由になっていたのが
「魚を与えるよりも、
魚の釣り方を教えるほうが効果的だ」
という格言の存在でした。
今から思うと、
この格言は間違いだと思います。
何故かと言うと、
みんな「魚の釣り方」を教えて貰うほど
ヒマじゃないからです。
それに、別にチラシの作り方を
教えてもらったくらいで
一生「魚が釣れる」わけではないです。
であれば、
手っ取り早くこちらでチラシを作って差し上げて、
「魚」を提供してもいいわけじゃないですか。
その辺り、自分の中で
かなり誤解があったように思います。
元 高校教員ゆえの「誤解」
なぜ、私にこういう誤解があったのでしょう?
それは
私は「学校教員」(高校教員)だったからです。
学校教員って、
「なんでも自分でできるように
ならないといけない」
と生徒に教えています。
つまり履歴書を書くのも、
文章を書くのも、
チラシを作るのも、
究極的には
「自分でできるようにならないとダメだ」
と教えているわけです。
この考え方、
半分正しくて
半分間違っています。
何故かと言うと、
何でもかんでも自分でできることだけ
目指していると、
時間がかかってしょうがないからです。
別に自分でできなくても、
困らないことって多いです。
何でもかんでも自分でできるようになるよりも、
誰かの力を借りて結果を得るほうが価値的なのです。
そこに「仕事」の本質があります。
もし何でもかんでも自分でできるなら
他の人の仕事は不要になってしまいます。
私はこれまで
「何でもかんでも自分でできないといけない」
という考え方で
ずっと仕事をしてきました。
作文教室ゆうの初期のうちは
それこそ
「文章を自分で書けるようになりましょう」
ということしか伝えていませんでした。
でもですね、
「明後日出す履歴書作成を手伝って欲しい」
という人に
「文章の書き方を基礎からお教えします」
というのは無慈悲なんですね。
明後日には出さないといけないのに、
「今から始めたら3ヶ月後に
抜群の文章力が身につきますよ!」
といったって、本末転倒だからです。
…そんなわけで、
文章の作成代行、
名刺の作成やサイト作成なども
現在では私がお引き受けするようになりました。
何故かと言うと
文章で困っている人の中には
「別に文章の書き方は教えてもらう必要はないので
手っ取り早く作って欲しい」
という人がいらっしゃるからです。
そういう人をこれまでの私は
「見殺し」にしてきた側面があるのです
(言葉は強いですが)。
今日のポイント
今日のポイントです。
「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよう」は嘘である。
困っている人には手っ取り早く
魚を提供するほうがいいに決まっている!
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魚の釣り方よりも、魚自体を提供したほうがいいケースも多い!
「魚の釣り方を教える」というのは
ある意味「余裕がある」状態でしか不可能です。
じっくり力をつける余裕があるときしか
本来できないタイプのやり方です。
…ところが、私のように
何かを教える仕事をしている人って
「私がやってあげるのではなく、
お客さんにやり方を教えないといけない」
そう、頑なに思い込んでいる事が多いんですよね。
例をあげます。
英会話の先生は
「英会話のやり方」を教えるのが仕事です。
ですが、明日 外国人を連れて
札幌を観光案内しないといけない人がいるなら
「私が通訳を引き受けますよ!」
と言ってあげるほうが親切なのです。
仮にお客さんから
「札幌の観光案内を手伝ってもらえませんか?」
と言われたときに
「あ、そういうサービスはやってないので…」
と言ってしまうのは
お客さんを露頭に迷わせることに
なってしまうのですね。
無論ですが、こういうサービス、
きちんと報酬は請求すべきです。
ちゃんと報酬を得られるなら、
「お客さんに代わってやってあげる」
ことって何も悪いことではないのです。
スーパーに行けばお米を買うことができます。
これを
「自分でお米を作らないなら
米を食べてはいけない」
というのは可哀想ですよね。
そんなわけで、
「魚の釣り方」だけではなく
「魚」それ自体を提供しても
何ら問題ないのです。
今回の内容は私の「反省」も
含まれています。
私は文章アドバイザーとして
文章の仕事をしています。
必要とあらば
文章の代筆・
チラシ作り・
名刺作成・
サイト作成なども行うことが可能です。
デザイナーさんなどとコラボすれば
お客さんのご要望にも応えることが出来るからです。
だからこそ、今までの私を反省して
「魚の釣り方」のみにこだわらず、
「魚」自体もご提供していきたいと思っています。
人に何かを教える職業の方、
今日の内容を参考にしていただければ幸いです!
ではまた!
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