相手のことを想った言葉、使ってますか?西野亮廣さん『新世界』に学んだ、言葉の有限性

 

今日のポイント
人生で使用できる言葉は【有限】である。
であれば、相手のことを想った言葉を
相手に届けませんか?

 

突然ですが、質問です。

あなたに残された「文字数」は何文字ですか?

 

…急に言われれると「?」ですよね。

当たり前の話をしますが、
人生は有限です。

 

限りがあります。

 

ちょっとまえ、
札幌駅上のショッピングモールである
ステラプレイス内の看板に次のものがありました。

「100歳だとして、
チャンスはあと3万コーデ。 」

こんな謎のキャッチコピーが
書かれていました。

 

100年の人生は
【3万6,500日】を意味します。

 

いま20歳の人は
すでに【7,300日】が
経過しています。

 

 

ということは
20歳の人にとって
人生は残り約【3万日】なわけですね。

 

言ってしまえば、
残りの人生は【3万日】しかないわけです。

 

 

毎朝食べる朝食も
あと【3万回】しかないのです。

 

同様に、毎日服を着るのも
【3万回】しか着れないわけです。
(1日に何度も着替えない限りは)

 

だからこそ
【あと3万コーデ】なのですね。

 

 

 

…考えてみると、
人生全てのものは
【有限】だと言えます。

 

たとえば、今年クリスマスが来るということは
人生において経験するクリスマスが
1回減った、ということを意味します。

80年の人生なら
クリスマスは【80回】しか
来ないのです。

 

…こう言われると、
なんとなく「コワく」なりませんか?

 

 

人間、生きていると
「今と同じ明日」が
きっとくると「想像」しています。

 

今年1年が終わっても
「また新しい年がやってくる」
と「想像」しています。

 

でも、実はこれって
あと【80年】しかない人生から
1年分の時間が消滅した、
ということも意味しています。

 

1日24時間は
1440分あります。

この記事を読んで
もう2〜3分経ったことでしょう。
ということは
1440分という限りある時間の中から
2〜3分も資源を使用したことを意味します。

 

考えてしまうと、
あらゆるもの・あらゆる経験・
あらゆる時間は【有限】なのです。

 

西野亮廣さんの『新世界』を読みました!

 

私はなんでこういう話を書いているのでしょうか?

 

それは最近読んでいる本と
関係があります。

私はさいきん、
芸人・キングコング西野亮廣(にしの・あきひろ)さんの
本を読んでいます。

 

最近出た『新世界』という本です。

 

この本のラストシーンには
次の話が出てきます。

白血病で余命3ヶ月の診断を受けた
西野さんのファンのもとに、
西野さん自身が会いに行くというくだりです。

 

病気で痩せこけている姿でありながら、
生き生きと自分の人生を語ってくれる。
そんなファンの姿に心が動いた、といいます。

 

「彼らとの会話はとても気持ちが良かった。
気持ち良さの理由はわかっている。
彼らが選ぶ言葉のいちいちが、美しいのだ。

そこに怯えや迷いなどは見当たらなかった。
脇目も振らず
ただ、伝えたいことを、
今、伝えなければならないことを、
伝えなければならない言葉を、
使わなくてもいい言葉を、
彼らは丁寧に取捨選択していた」
(Kindle版No.1942/2028)

 

余命が迫った人にとって、
話す言葉の一つひとつは
有限です。

 

言葉を発することで
時間も消費しているからです。

 

限りがある文字を発するからこそ、
その一つひとつは熟慮され、
結果 発する言葉が美しくなるのです。

 

西野さんはこう続けます。

 

「ボクらは、使える文字数に制限があると、
わざわざ誰かを傷つけるようなことに
文字を割かない。

たとえばキミの手元に、
あと20文字しか残っていなければ、
キミはその言葉を
大切な人に贈るだろう。

元来、言葉は美しい。
言葉を汚している原因は、
「文字」が無尽蔵に発行できてしまうことと、
そこからくるボクらの甘えだと知った。

もしも言葉が消えるのなら。
もしも使える言葉が今夜無くなってしまうのなら、
ボクは誰に言葉を贈るだろう?
昨日、選んだ言葉は合っていたのかな?」
(Kindle版No.1956/2028)

 

 

 

白血病で余命3ヶ月、という診断を受けなくても、
私達は日々1日いちにちと
人生の残り時間が減っていっているわけです。

 

人生は【有限】です。
ということは、
私達が発する【言葉】も【有限】なのですね。

 

おそらく人間の頭の上には
巨大なカウンターが載っているはずです。

人生で使用できる
【言葉】の総量がカウンターで
表示されています。

 

いま私が記事を書いていると、
私の頭の上にある
言葉の残りカウンターが
カチッカチッと減っているわけです。

 

ちなみに、この記事だけで
2,500文字分、
私のカウンターから文字数が
減りました。

 

他の人からは見えないだけです。

 

 

ふだん意識されませんが、
人生で使用できる
【言葉】は【有限】なのです。

 

であれば、
【有限】な資源をわざわざ
他者の誹謗中傷につかったら
もったいなくないですか?

 

どうせだったら
相手のためになり、
相手を楽しませる
【言葉】を発したほうが
トクだと思いませんか?

 

私が最近実感しているのは
【言葉】の重みです。

 

何度か記事に書いていますが
私は毎日1通は手書きハガキを書いています。

 

Facebookやメールでメッセージを送る場合、
キーボードから「数秒」で
メッセージが送れます。

 

何人かに送る場合
コピペで「一瞬」にして
メッセージを増やせます。

 

その点が手書きハガキとの違いです。

 

ハガキを書く場合、
わざわざ相手の宛名を書き、
相手の名前を書いて、
相手のことを想って書く必要があります。

 

おまけにハガキ1枚に書けることなんて
たかが知れています。

 

効率性で言うと
相当低い情報伝達手段です。

 

ですが、ハガキ1枚を書く手間と
書ける量の【有限性】が、
相手への「想い」につながるわけですね。

 

これも【有限】だからこその
重みだと思います。

 

使える文字に制限があると実感するだけで、
人に対して暖かな言葉が
使えるようになるはずです。

 

今日のポイントです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人生で使用できる言葉は【有限】である。
であれば、相手のことを想った言葉を
相手に届けませんか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

私達が他の人に
ぞんざいな言葉を投げかけたり、
誰かを誹謗中傷したりするのは
言葉が【無限】に使えると思っているからでしょう。

 

誹謗中傷をそれこそ【無尽蔵】に伝えることも
できるのです。

 

その分言葉がどんどん軽くなります。

 

だからこそ、
ここで一度
言葉は【有限】であることを
捉え直すほうがいいのです。

 

言葉は【有限】だと思えば、
伝える相手のことを考えるようになります。

 

自分の言葉に重みが生まれるのです。

 

ちょうどクリスマスや年末シーズンです。

誰かに会う機会も多いでしょう。
そのときにどうせなら
相手のことを想った言葉を
伝えてみてはいかがでしょうか?

 

どうせ言葉って【有限】なのですから。

 

ではまた!


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