きょう、久々に中崎タツヤ『もたない男』を読みました。
病的なほど「捨て魔」。
「なにか捨てるものないかなあ」と探してしまう。
そのくせ、衝動買いもしてしまう。
衝撃を受けたのはこの部分。
ストレス発散が買い物という人はよく聞きますね。
私の場合は捨てることのほうがストレス発散の比重が大きいようです。ストレスがたまってくると、捨てるか買うか、心が揺れますからね。
この問題を「損得」で考えたら、買ったほうがトクですね。(単行本版130頁)
どう考えても、「買ったほうがトク」とは思えない。
お金もかかるし。
中崎タツヤは、そんな常人の発想の「上」を行ってくる。
さきほどの続き。
買えば買うだけものが減っていき、捨てれば捨てるほどものが減ってしまい、また買い足さなければならなくなるのですから。
茶碗やコップや調理器具を捨ててしまえば、外食したりペットボトルの飲み物を買うしかなくなり、よけいに生活費がかかります。
ものを捨てるとはすなわち、無駄なものを買うということです。(130頁)
「捨てる」ことを織り込み済みで買っている。
捨てる場合、1回しかできないけれど、
買う場合、「買う」と「捨てる」の2回をできる。
むちゃくちゃな論理。
ある意味、究極。
本を所有することをすら嫌う中崎タツヤらしく、図書館で借りて読んだ本でした。
(はじめて読んだ時は、書店で10分ほどななめ読み、でした)
中崎タツヤは「断捨離」や「ミニマリスト」のなかでも、究極のレベルです。
(本書で言っているのは、あくまで何もものがない「職場」のことだけなので、自宅がどうなっているわかりませんが)。
中崎タツヤレベルまで行かなくても、捨てることは大切です。
作文も同じです。
「言いたいこと」以外のメッセージは、究極無くてもいいのです。
これまでも、「作者が笑わない」や「言いたいことは一文」などと書いてきました。
結局は「無駄」なものを極力排除する、ということを言っているだけです。
「無駄」なものを排除すると、「言いたいこと」が伝わりやすくなります。
こう書くのは、作文において、人は「無駄」なものを書いてしまいやすいからです。
ダメな例。
この原稿は、知り合いの編集者から頼まれた。私自身は専門外なので断ろうかと思ったが、その人のたっての願いとのこともあり、引き受けることとした。
さて・・・
本の冒頭に、こういう「言い訳」のある本、たくさんあります。
「私は専門外だから・・・」や、
「急に言われて・・・」というのは、「無駄」な文章です。
無駄なデータ、無駄な図表。
無駄なエピソード。
無駄な「作者」の肩書。
一回、すべて「捨てて」みましょう。
そのほうが、「言いたいこと」が伝わるはずです。
中崎タツヤのように。
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