憧れの「書斎のある暮らし」。
あなたは自分の家に「書斎」はありますか?
書斎とは?
(個人の家で)読書や書き物をするための部屋。(広辞苑)
要は、「勉強部屋」というようなものですね。
自分専用の部屋で、ものを書いたり、音楽をやったりと、自分の「城」として知的活動・創造活動に取り組める場所。
あこがれますよね!
いまの私は「個室」をある意味で断捨離しているので「書斎」はないのですが、仕事が順調になってきたら「ぜひ作りたい」ものの一つです。
その際に参考になるのが『リンボウ先生の書斎のある暮らし』。
処女作『イギリスはおいしい』以来、大学教員&作家として活躍し、現在では『欽訳 源氏物語』を書くなど、「知的作家」の代表のような人です。
それでいて、軽妙なエッセイを多数書いているという稀有な人。
私も大好きです。
(『イギリスはおいしい』は未だに私のエッセイのお手本です)
きょう紹介するのはそんなリンボウ先生(林望)の「書斎論」。
書斎論としてもっとも大切な要素は、ひとつには、合理的な設計と使いやすさということ、もうひとつには、そこで営まれる精神生活の価値ということ、さらには、内面的な勉強を癒やすべき優しい環境の必要性、ということである。(5)
書斎は「内面的な勉強」の場なのです。
ただ一人、書斎にこもり、自己と向き合う。
そして作品を創造していく。
文章や音楽、陶芸、なんでもいいのです。
あるいは司法試験や行政書士など資格に向けて学習していく。
そういった自己啓発や自己投資を行う場として、リンボウ先生は「書斎」を述べているのです。
単に会社で「出世をめざす」のとは違い、自己を満たす活動が「書斎」にはあります。
私のように組織を辞めてしまった人間にとって、すごく響く指摘です。
自分に厳しく!
このリンボウ先生の書斎論で私に刺さったのは、やはり「文章論」のところです。
どう書いても自由だからこそ、どこまでも自分は自分の書いたその文章を磨く、つまり納得するまで推敲するのだ、と、こうあるべきでしょうね。これが、知的な態度というものです。(242)
この「納得するまで推敲」をできるのがプロだ、ともリンボウ先生は述べています。
必ず後で何度も何度も読み返しては直す。私は、文筆で立っているわけですが、しかし、やはり自分の書いた文書については繰り返し自己批判と推敲を加えて、おかしなところがないように細心の注意を払います。プロである以上、それは当然の良心なんですね。(239)
あのリンボウ先生レベルでも「何度も何度も読み返しては直」しているのですね。
私も物書きの端くれ(作文指導の講師)として、胸に焼き付けたい部分です。
専門を活かして日常を語る人。リンボウ先生や内田樹さんになりたい。
林望さん(リンボウ先生)や内田樹さんはじめ、「研究者(学者)」で文筆家、という人に私はあこがれています。
学問という「専門」を元に、日常の出来事を分析的に見る態度。
私はすごく好きなんです。
日常を、日常の言葉だけで書くことも出来ますが、なんか「浅い」文になってしまいます。
そこに、たとえば内田樹さんなら哲学・現象学的な発想、
リンボウ先生なら書誌学の知見を盛り込むことで文章に深みが出る。
そんな文章を書けるよう、私も修行中です。
ぜひ暖かく見守ってくださいね!!!
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