想像豊かにウソを書くと、結局は自分を苦しめるかも?
ウソをつきすぎたブロガーのお話
前に、香山リカさんの本をご紹介しましたね。
そうです、『文章は写経のように書くのがいい』です。
その『文章は写経のように書くのがいい』には、あるブロガーの女性が出てきます。
かつてホステスをしていた頃の経験でブログを書いていたのですが、
アクセスを増やすため歌舞伎町で「風俗」の仕事をし始めるという「ウソ」を書いたのです。
日々、「ウソ」の経験を書き、
「ウソ」にリアリティを持たせていきました。
その結果、
だんだんウソと現実の対比に耐えられなくなっていく。
結局、ブログも閉鎖してしまうことに。
そこから香山リカは、
書くのに無理をしないことを訴えます。
実は「ウソを書く」ことはその人のメンタルにも多大な影響を与えてしまうのです。
ここで思い出すのは、作家・寺山修司です。
ウソをつきすぎた寺山修司のケース
寺山は「母親捨て」のエピソードを好んで作品に取り上げました。
『家出のススメ』
『青少年のための自殺学入門』などアジテーションあふれる作品を残しています。
彼は自分の経験や経歴のウソを作品中に書きました。
「走る列車の中で生まれた。ゆえに故郷など無い」
カッコいいです。
ですが、どこか切なさがあります。
何か「無理してる」感が伝わってきます。
寺山修司は40代で亡くなりますが、
そうでなくても彼は「現実」と自作の「虚構」の間で精神がバラバラだったのではないか、と考えることがあります。
遺作『さらば方舟』という映画には、
次々に「言葉」を忘れる主人公が登場します。
あまりに忘れてしまうので、
半紙に言葉を書いてそのものの名前を忘れないようにするのです。
「扉」
「ふすま」
「茶碗」
次第にエスカレートします。
「妻」
しまいは「俺」を自分に貼る。
・・・病んだ世界です。
ただ、似たような世界に寺山が陥っていたような気がしてならないのです。
今日のポイント
文章を書くとき、ヘタにウソをつかず、無理せず書こう。
でないと、あとで辛くなるかも。
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